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3.京都盆地のチャートがわかれば基盤岩が理解できる。

大陸から切り離されて大移動してきた付加体が京都盆地の基盤。

 金閣寺を見ている場所は衣笠山《きぬがさやま》。硬いチャートという岩石でできた衣笠山に登った時に撮りました。京都盆地の北部を見渡すとチャートで形成された山々がいたるところに点在しています。京都盆地北側の景観をつくっている地質とチャートについてお話ししたいと思います。

京都盆地北部の地形図(カシミール3Dで作成)

 上の地形図で位置関係を見ていただきたいのですが、平安京を造営した時の中心線の起点ともなった船岡山とそれと同じように独立丘して存在する双ヶ丘《ならびがおか》の間には、金閣寺、龍安寺、仁和寺という3つの世界遺産が並び、左大文字も背後の山にあります。北側に目を移すと、上賀茂神社の背後にある神宮寺山から京都五山送り火で有名な松ヶ崎西山と東山が連なり、まるで壁のようになっています。

地質図を重ねた地形図。オレンジ色の面積が多いことに着目してください。

 地質図を重ねると、上記で示した船岡山や双ヶ丘、左大文字・妙・法など「五山送り火」の山々が全てオレンジ色のチャートでできていることがわかります。チャートはとても硬い岩石で、侵食作用を受けにくい特徴を持っています。すなわち、京都盆地北部の景観は、数十万年間の浸食作用から取り残された岩石で構成されているのです。

きぬかけの路沿いにある層状チャートの露頭

 上の写真は衣笠山の麓で立命館大学の北側を通るきぬかけの路沿いにある層状チャートの露頭です。硬いチャートの層の間に泥岩の薄い層が挟まっています。

衣笠山山頂部のチャート

 衣笠山の山頂部も硬いチャートがむき出してゴツゴツしています。訪れる人が少ないのか途中の登山道はあまり整備されていませんでしたのでご注意を。

衣笠山山頂から比叡山を望む

 山頂部は木々に覆われていますがこの角度のみ開けています。正面に比叡山が、手前に金閣寺が見えます。その奥に低い山が壁のように連なっていますが、チャートでできた山々が上賀茂神社の背後から松ヶ崎まで一列に続いています。

付加体の概念図

 では、そのチャートについて簡単に解説していきます。チャートとは深海底に珪質の殻を持つ放散虫の死骸などが堆積してできた堆積岩です。深海堆積物などをのせた海洋プレート(海洋地殻)は、海溝で大陸プレートの下に沈み込む際、堆積物などがこそぎ取られて大陸プレート側にくっつきます。これを付加体《ふかたい》といいます。京都盆地周辺の山々も大部分が付加体でできています。しかし、京都盆地周辺の付加体はとても複雑な経緯を経て今の場所に移動してきました。

日本列島が大陸から離れていくイメージ図

 日本列島はもともと今の場所にあったわけではありません。いまから約2500万年前に大陸の縁《へり》から引き離され、その後2つに分れました。それらはまるで観音開きの扉が開くように回転しながら現在の場所まで移動。さらに、2つの間にできた溝に伊豆諸島が次々と衝突して伊豆半島などができます。京都盆地の山々を構成するチャートやメランジュ(混在岩)は、このような歴史をたどっていまの場所に存在するのです。

建勲神社(船岡山)から比叡山と大文字山を望む

 船岡山にある建勲神社からの景観です。正面に見える比叡山(左)と大文字山(右)の間のくぼみは花崗岩が風化したバッドランド。それについては次回に詳しく解説します。

建勲神社の境内

建勲神社の境内はチャートの大きな岩がむき出しになっています。

船岡山の山頂部にある巨大なチャート。

 船岡山の山頂部には巨大なチャートの塊があり、古代の磐座《いわくら》だといわれています。磐座とはわが国にむかしからある原始信仰のひとつで、神が降臨する場所や、御神体とするもの、祭祀を行う場所などのことです。

松ヶ崎東山からの景観

 上の写真は松ケ崎東山からの眺望です。下は「法」の字が灯される場所。とんでもなく急峻な傾斜地ですが、この場所はボランティアの方々によって鹿よけの柵がつくられています。私の友人もボランディアの一人に名前を連ねていますが、周辺は鹿の食害による土壌流出や火床倒壊の懸念が高まっていたようです。山麓には普通に鹿がいます。

宝ヶ池の駐車場にいる野生の鹿
松ヶ崎東山の尾根にあるチャートの巨石。

 松ヶ崎東山の尾根にチャートの巨石がありました。これも古代の磐座だったのかも。

大田神社の裏山に通じる大田の小径

 上賀茂神社の裏山は立入禁止ですが、大田神社の横からそれに続く山を歩くことができます。

大田神社の裏山にあるチャートの巨石

 この山の上にもチャートの巨石がありました。上賀茂神社から少し離れた神山には降臨石と呼ばれる磐座がありますが、それもチャートです。

大文字山の麓にある法然院山門

 大文字山の近くにもチャートがありますが、こちらは麓にある法然院。境内にはチャートがふんだんに使われています。

境内の踏石に使われているチャート。
境内の踏石に使われているチャート

 境内にある数々のチャートの踏み石もおそらく近くの山から現地調達したものではないでしょうか。

双ヶ丘(雙ヶ岡)の山頂部(一の丘)

 最後に双ヶ丘《ならびがおか》へ。双ヶ丘は3つの山が並んでいるような不思議な形をしていますが、そのもっとも北側にある一つ丘の頂上です。

雙ヶ岡1号墳の墳丘(一の丘)

 この一つ丘は古墳でもあります。内部に巨大な石室があることでも知られていて、太秦に近く蛇塚古墳と同じくらい立派な巨石の石室があることから秦氏の首長の墓であろうといわれています。

雙ヶ岡1号墳の石室の一部と思われるチャート

 石室は埋められていますがその一部と思われるチャートの巨石が入り口付近にありました。おそらく石室に使われている巨石もチャートではないでしょうか。

まとめ

 いろんなチャートの岩を見てきましたが、大事なのはそれらの岩石は大陸から切り離されて大移動してきた付加体であるということ。その付加体が京都盆地の基盤岩になっています。おそらくそれが理解できれば、鞍馬山から貴船神社にかけて枕状溶岩やサンゴの化石を含む石灰岩など、海に由来する岩石が点在していることも理解しやすくなるのではないでしょうか。

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