そんなに自由が好きなのかよ、フランス人。
フランスに1か月滞在してきました。思ったことをつらつらと書いています。
フランス人の家には壁時計がかかっていない。
そのことに気づいた私は、さっそくホストに聞いてみた。
すると彼女は、時計ならスマホがある、とさも当然とばかりに答えた。
いえ、そうなのだが、インテリアとしての壁時計がなぜないのか、とさらに聞くも、今度は質問の意味がわからないみたいな顔をしている。
一方で、壁には額がたくさん飾ってある。だいたいのおうちに廊下があったのだけど(おーい)、そのさまはまるで美術館。中には絵ではなく、曾祖父母の写真(19世紀・・・!)を飾っている人も2人、いた。インドが好きなJさんのおうちには、インドの街の様子を撮った写真がいくつかあった。
さらに気づいたのだが、フランスの家にはカレンダーも見当たらなかった。
つまり、我々日本人が月初に必ずする行為、「カレンダーをめくる」がない。カレンダーをめくって「もう11月か、早いなー、今年もあと2か月ないんだ・・・」という感傷も、ない。
これはどういうことを意味するか、と私は考えた。
つまりフランス人は、いろいろ縛られたくないのだ、きっと。時間なんかに追い立てられて、日々を送りたくないのだろう。
日本では、壁時計はさもインテリアの一部ですよみたいな面構えで主にリビングルームやキッチン、さらに各部屋にある家もある。しかし、時計は時計。あくまでも人間を時間の奴隷化させるための装置なのだ。
もし実用だけが目的であれば、もっと無味乾燥なビジュアルになっていたにちがいない。ほとんどの壁時計は、インテリアとしても素敵に見せる工夫がほどこされているため、人はうかつにもだまされている。ただし、この「人」の中にフランス人は含まれない。
どれだけ自由が好きなんだよ! と思うが、これは、過去に外資系企業で働いていたときのフランス人上司からも感じたことだった。
ある時、私は彼にあることについて聞くため、回答としてA・B・Cの選択肢をメール本文に書き、送った。ところが上司から帰ってきた回答はAでもBでもCでもなかった。いうなればZだった。
そんなに選ばされるのが嫌なのかよ。
そんなに独自の回答したいのかよ。
これが自由を愛するフランス人というものか、とそれまであまりフランス人との出会いがなかった私は思ったものだ。
日本にはカタログギフトというものがある。あれはカタログに載っていないものはもらえない仕組みだ。それなのに、選択肢いっぱいで迷っちゃ~う、なんて言ってるのは、実は踊らされているのに気づかないだけ。たぶん、カタログギフトはフランス人には不評なのではないか。(フランス人にかぎらないかもしれないけど)
フランスといえば、自由、平等、友愛っ!
中でも、自由がいちばんフランス人を表している気がする。その証拠に、彼らは信号を守らない。車が来なければ、自分で判断して道を渡る。そのタイミングを決めるのは、自分だ。
そしてフランスでは(これはヨーロッパ全般にいえることかもしれないけど)、車といえばマニュアル。なにが悲しくてオートマみたいに自分がやること少なすぎる車運転せなあかんねん、とフランス人が思っているかどうかは知らんけど、とにかくマニュアル車が主流だ。
オートマ限定オブ限定の私にはさっぱり理解できないが、車の運転が好きな人には多少理解できるのかしらん。
「人は自由という刑に処されている」と書いたのは、はからずもフランスの哲学者J.P.サルトルであった。今の時代、どれだけサルトルが読まれているかはわからないが、フランス人はすでに肌感覚として人は自由であることを知っている人たちなのかもね、と思いましたとさ。