瀬戸内の豊かな暮らし
瀬戸内海の小さな島。海まで徒歩1分の実家では、夏になると小さなボートと釣り道具、BBQコンロが大活躍。男の子たちは小さなボートに乗せられ、沖に向かって波間を進む。女の子たちは家に残り、おにぎりを握る班と野菜を切る班にわかれてBBQの用意をしながら、その日の海の恵みを待った。
4世帯プラスご近所さんとの、わいわい賑やかな夏の行事も今は昔。
瀬戸内海
穏やかで豊かな海
島国日本。どこの都道府県もだいたい海に接しているけど、どの海に面しているかで波の強さ、海の色、水温がまったく違う。四方を陸地に囲まれた瀬戸内海は、他の海岸に比べれば波は穏やかだけど、狭い水道や瀬戸などが多く地形が複雑なので、潮流が速い。そこに山の水が流れ込み、豊かな生態系をつくりだす。
明石のタコ以外にも、黒鯛(チヌ)が釣れることでも有名。
他にも、少し熱帯魚っぽい色をしたベラや、カレイ、アジ、鯒(コチ)、カワハギ、ヒラメ、ゲタ(舌平目)。岩場に行けば、牡蠣、亀の手、アワビを小さくしたようなトコブシ、ムラサキガイ、アサリ、フジ貝、ミヤコボラなどの巻貝に、色とりどりのイソギンチャク、ヒトデ、フナムシもたくさん。
夜になると"ポンポンポン…“という音とともに、明け方近くまでイカ釣り漁船の灯が水面を染め、波打ち際には夜光虫。母が子どもだった多分70年くらい前は、潜ればサザエ、ウニが獲れたと言うくらい生命の宝庫だった。
プライベートビーチのような浜辺
瀬戸内海の島々にはたくさんの観光ビーチがあり、夏には多くの人で賑わうが、実家から徒歩1分の浜辺は採石場が近く小さな石が多いので遊泳禁止。だからいつも、犬の散歩をしているご近所さんや、岩場に貝を堀りに行く隣村の初老のご夫婦くらいしか、人の姿を見かけることがなかった。
泳ぐことはできなくても、ゴーグル(昔は水中メガネと呼んでいた)をつけ、膝までつかって海中を覗き込むと、小魚の群れや砂地でユラユラ揺れる小さなハゼがいて、南の島のように華やかではなかったが十分楽しめた。
人目から守られるかのような小さな湾のその浜辺は、両側の岩場のすぐ背後には樹々をたたえた山があり、初夏にはグミや野イチゴが採れた。海で遊み、岩場で遊び、山で遊ぶ。しかも人がめったに来ない、まるでプライベートビーチのような浜辺だった。
沖にでる
楽しそうな大人たち
船で海にでることを、沖にでると言う。
前日に浜辺の脇の岩場に停めた船のタンクにガソリンを注ぎ、エンジンの調子をチェックする。"ブルッ、ブルブルンッ“と鈍い音を立てた後、"ボッボッボッ“と一定のリズムを響かせながら、湾に小さな円を描いて岩場に戻る。
船に問題がないことを確認した大人たち。
次は釣り竿のコンディションをチェックする。釣り針の不足はないか、リールはスムーズに回るか、手ぐすと手ぐす用のグローブをどのくらいもって出るか、今年の餌は何にするか話しながら、ツールの確認を終えると、子どもたちを引き連れ買出しに出る。ツールの不足分、釣りの餌、大量のビールとジュースと水、小玉スイカにスナック類。釣りの後のBBQ用の炭、野菜に肉に…カートを数台連ねての買出しは、なかなか圧巻。
ここまでの一連の準備は、父と叔父と隣のおじさんの役目と決まっていた。
時は高度経済成長期。事業を営んでいたこともあり、毎日帰りは遅かった。父も叔父たちも年中出張。新幹線も今より速度は遅かったし、高速道路も今ほど行きわたってなく、パソコンもインターネットもなかった頃。仕事に要する時間も今より多く体は疲れていたはずだけど、朝早くから、子どもたちと一緒にワアワア楽しそうに準備する。
翌日の早朝4時半起きもまったく平気。
まるで遠足の日の子どものように、遊ぶことを全力で楽しむ大人たち。
船の上でのお楽しみ
沖にでる日は、朝陽が昇り始める頃に起床する。
船を停めた岩場までは徒歩3分。手分けして、昨日準備をしておいたツールやドリンク、小玉スイカを運び込んだら、日の出とともに沖にでる。
澄んだ空気と潮の香を頬。
ぶつかっては消える白い波。
心地よいリズムを刻むエンジン。
スポットに到着するまで誰も言葉を発しない。
エンジンを止めアンカーをおろすと船上の空気は一変する。
慌ただしく竿を伸ばして餌をつけ、"ヒュンッ"と投げる大人と少し大きい子どもたち。まだ上手く投げられない小さな子どもたちは、グローブをはめ手ぐすを海面に垂らす。この流れが落ち着くと、大人たちは網に入れた小玉スイカを海に浮かべ、クーラーボックスから冷えたビールを取りだして一息つきながら、魚が餌をつつくのを待つ。
耳にはいってくるのは、"タプンッチャプッ"と船にあたる波の音。
小さく静かな揺れが心地いい。
時折スポットを移動しながら数時間、陽が高くなりきる前に岸に戻る。
大人も子どもも使ったツールを片付け終えると、海から引きあげたスイカを叩き割り、かぶりつく。夏の海は温度が高く決して冷たくなるわけではないが、甘さと瑞々しさにしょっぱさが混じりあい、汗をかいた体に浸みこむような感じの美味しさは、大人になった今も鮮明に覚えている。
釣りの後のお楽しみ。
変わりゆく海
沖にでて釣れる魚は、ベラとアジ、ゲタ(舌平目)、稀にカレイ、小さな鯛、小さな鯒(コチ)が多かった。腹と鱗をきれいにとった魚に塩を振り、肉や野菜と一緒にBBQの網で焼いたり、刺身や煮つけにして食べる。鯛や鯒(コチ)は炊込みご飯にすると、キッチンがなんともいい香りに包まれた。
なんて豊かな時間だったのだろう。
子どもだった私たちは大人になり、それぞれの子どもを連れて帰省すると、当時と変わらず同じ光景が広がったのは数年前まで。年老いていく両親たち、変わっていく島の集落、そして海。父と隣のおじさんは今も時折沖にでるが、釣れる魚の種類も、釣れる量も少なくなっていると言う。
わいわい賑やかに沖にでていた当時、弧を描くように海面を飛んでいたトビウオも、今ではほとんど見かけない。岩場で獲れた、アサリやムラサキガイも今ではほとんど姿を見ない。
人が乱獲したからなのか、気候変動のせいなのか。
それとも山を削りすぎたからなのか、どうしてなのだろう。
削られ続ける瀬戸内の山々
瀬戸内海の島々には、花崗岩の採石場がたくさんある。
大阪城の築城にも使われた記録が残っているほどなので、100年以上も前からずっと山を削っていることになる。
人間はとても賢く、合理性を考えることができる生き物だ。
だから恐らく、山から切り出した花崗岩を最短距離で船に積み込めるよう、海岸線の山から削っていったのだろう。
だから瀬戸内海には、海岸線の山が削れらた島々がたくさんある。
花崗岩だけでなく、今では石灰石というコンクリートの原料を切り出すために山が削られていることが多く、帰省の際にフェリーから見る瀬戸内の島々は、いつかなくなりそうなほど姿が変わっていった。
山と海の関係は生態系に大きな影響を及ぼす。
樹々から落ちた葉や、森林の土壌に含まれる様々な栄養分が雨水や地下水に溶けこんで、川から海へと流れこむことで、海中の植物プランクトンが増える。それを動物プランクトンが食べ、それを魚や貝が食べ、豊かな生態系をつくりだすサイクルができる。
そのサイクルの一つが変わると、生態系は変わってしまう。
禿山だらけだった江戸時代、人はそれを身をもって学んだからこそ植林を始めたはずなのに、山ごと削る行為は止まらない。
瀬戸内界隈、広島県辺りから採掘された石灰石は、タワーマンション、巨大アリーナ、大型ショッピングモール、リニア、新幹線の延伸といった様々な計画に、まだまだ必要とされている。
あれほど豊かだった瀬戸内の海。
地球だけなく、月や太陽も含む壮大な宇宙のサイクルが私たちに分け与えてくれた自然の恵みより、大量のコンクリートを要する建造物は大切なのだろうか。それらは本当に必要なのかと疑問に感じずにはいられない。
人にとって本当に大切なものはいったい何なのか。
豊かで幸せな生活、生き方とはどういうことか、もう一度向き合わなければいけないように思う。