【流行】作家は時代と添い寝すべきか否か!?
作家は、
時代と添い寝するくらい
ときの時代精神を吸収し、
さらには体現する覚悟がなければ、
売れる作家にはなれない。
時代精神とは、
「流行」と言っていいでしょう。
とは、昔からよく耳慣れた話です。
でも、余りに
流行と添い寝し過ぎたら、
その作家が死んだ途端に、
その人の作品もいっぺんに
色褪せ、古びていってしまう。
たとえば、
吉行淳之介。
たとえば、
石川達三。
たとえば、
椎名麟三。
たとえば、
伊藤整。
たとえば、
小川国夫。
たとえば、
田中英光。
たとえば、
斎藤緑雨。
たとえば、
徳冨蘆花。
たとえば、
尾崎紅葉。
たとえば、
たとえば、
たとえば、、、、。
正直、キリがないくらい、
時代と「寝た」作家は
たくさんいるんですね。
いざ、読むと
小説としては、
面白いんですよ。
ただ、流行に添い、
書いていたからか、
当時の流行が
皮膚感覚でわからない場合、
作者の意図やニュアンスを
きちんと掴むことは難しい。
時代精神なんて、
その時代を生きてもいないと、
研究や調査では
わかるものではないですね。
時代との付き合いは、
つかず離れずが
理想なんでしょうか。
ところで、
不思議なのは、
50年たっても
100年たっても
いや、1000年たっても、
おもしろい作品って
あるじゃないですか?
特に不思議なのは、
その作家の時代には、
あまり評価されないで
後から評価される人。
宮沢賢治がその代表選手。
梶井基次郎や、北條民雄、
中島敦、中原中也などなど。
時代の流行とは関係なく
死後に評価が高まる作品って
案外あるんですよね。
画家のゴッホがまた典型例。
あれはどうなんでしょう?
なぜ、同時代の人は、
ゴッホを評価しなかったのか?
評価できなかったのか?
なぜなんだろう?
ゴッホだって、
それなりに時代の流行を
取り入れていたでしょうに。
時代とともに色褪せる作品もあれば、
時代が過ぎてから
人気が出る不思議な作品もある。
後世に残るように書く、描く。
そのためにはどうしたらいいかは
まだまだ論理的科学的には
解明されていないでしょう。
でも確かにあるんですよね。
その境い目が。
そりゃあ、作家だって、
同時代に売れたい。
いきてる時代に評価されたい。
でも、目の前の評判、
つまり流行ばかりでは
のちのち、何も残らない
俗っぽい流行作家に成り果てる。
かといって売れない作品を
書き続けるなんて、
もっと出来ない。
煎じ詰めたら、
その作家がもつ問題意識が
どれくらい普遍的か?
射程距離が長いか?
これに尽きるでしょうか。