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【書く】アウトプットは内面を人目にさらす為?

私にはnoteを続けていきたい
理由があります。

それは考えを人目にさらすこと。

この歳(51)にもなると
周りには、一家言ある人が多くなる。
本について、人について、
世間について、時代について。
それも、とても面白い観方や発想の
「隠れ」評論家が実に多い。

ただ、出版の世界では、
Noteやブログで記事を書く人は
意外と少数派です。実は…。

自分が担当した発行物の
告知に熱心な一部の人を除くと、
多くは書かない派…です。
もったいないなあって思います。

文章を書くのは仕事だし
仕事を終わってまで
文章を書くのは面倒くさいな、とか、
文章はお金もらうものだしという
「感覚」が日常化されてるし。

そのくせ、まあ、
ウンチク屋さん、
ひねくれ屋さん、
本の読書量や本のチョイスも
まさに玄人はだし、
なのに、日常では記事は
書かないというんです。

私はいつも同僚や先輩に、
note書けばいいのになあ、と
といっつも思うんですけど。
余計なお世話かあ…。

そのかわり、
普段からアウトプットしてないから、
どれくらいのことを言っているか?
本人では検証ができていない。

それ、よく考えたら
論理が破綻してるやん?とか、
意外と視野が狭いやん?とか
それ浅いやん、
それ甘いやん、
それ脆いやん、ということも、
アウトプットして初めて
具体的に検証できるんですよね。

ただの言いっぱなしだと、
思考や感覚や考えは
育っていきづらいんですよね。

それで、私は
大した文章家ではないけれど、
自己検証のためにも
このnoteを書いて、
アウトプットして
自分でも読めるようにして、
また、時に人からコメント頂いて、
人目にさらすようにしたいんです。

さらすことで、
自分の浅さ、甘さ、都合よさを常に
具体的にとらえていたいんです。
この記事、
えらい尻すぼみやな、とか(笑)。 
人間への理解が浅いなあ、とか。

まあ、たまには、
「おお、この日はいいこと
書いてるやんけ」ということも。
めったにないですけど(笑)。

考えは人目にさらしていって
本当に育てることができる…
そんな気がしています。

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