【文豪】昔、不機嫌は知識人階級のシンボルだった?!
人間は、機嫌がいい人にこそ
仲良くなりたいと思いますね。
少なくとも、一緒に遊んだり
仕事をする相手は、
機嫌がいい人としたいものです。
ただ、機嫌が悪い人に
もしも惹かれるとしたら、
それは文豪たちのせいかもしれない。
だって、よく思い出して下さい。
文豪の顔写真で、
笑っている顔写真、
それも腹から笑っているような、
底抜けに明るい文豪の顔写真を
見たことがありますか?
ない。おそらくないでしょう。
でも、人間ですからね。
何枚か、笑っている写真が
きっとあるに違いありません。
それでは、なぜ
我々の目には触れる機会が
なかったのでしょうか?
そこには、
出版社の編集部や記者や販売部、
それから文豪たち自身などの
さまざまな思惑が背後で
絡んでいるに違いありません。
ではなぜ、
笑う写真はあまり
使われてこなかったのでしょう?
そのことに対して、
山崎正和という評論家が
見事に言い当てた言葉があります。
明治以来、日本のインテリ階級、
知識人たちの世界では、
「不機嫌」でいることが
よしとされてきたからです。
笑うより、不機嫌が
人気に繋がったとも呼べそうです。
不機嫌という表情は、
文化人として慕われる条件だった
時代があったのですね。
漱石、鴎外、芥川、太宰などは
ほとんど笑った写真がない。
虚無感を浮かべた写真も
多いけれど、
深刻な、思い詰めた写真が
やはり多いのではないかしら?
余談ですが、
漱石は写真に撮られるのが
芯からイヤだったそうで、
本当に不機嫌になった。
話を元に戻しましょう。
不機嫌を知識人のアイコンに
仕向けたのは、
出版社の記者やカメラマンなどです。
そうして、
不機嫌がインテリ階級のシンボルに
仕立てられ、
不機嫌は知的人間に必要な
アイコンになっていったのです。
それが今もあまり変わらないのは、
教科書会社や参考書会社の
編集さんたちが、
これまでの深刻さを重んじる伝統を
ありがたく守っているから。
何か内面に問題を抱えて
生きている作家や評論家は
元来、暗い深刻な顔に
なってしまうのでしょう。
それも年を重ねたり、
時代や環境の変化の中で
深刻一点張りでは
なくなって行くんですね。
そういえば、三島由紀夫は
例外的に、笑う写真も多かった。
マスメディアにどうした表情を
向けるか常に意識的だったから。
自分をスターだと自覚していた
自意識過剰な時代の寵児だったから。
そうして、1980年代以降、
女性作家が急激に増えるに連れ、
笑顔や美しい写真が増えてきました。
不機嫌な表情が文化人のシンボルだ
というかつての暗黙のルールも
弱まってきました。
不機嫌がかつてほど
人気ではなくなってきていました。
もう「文豪」らしい、
思い詰めた表情の写真が
減ってきたのは、ちょっと寂しい。
これからは、
写真に自然体で写る作家が
どんどん増えるでしょう。
機嫌がいい写真が増えるでしょう。
不機嫌が重宝される時代は
もう過去になりつつあるのでしょう。