【言葉】noteが方言で書かれたら、どう変わる?
noteは、みんな標準語で読み書きしてる。
地方出身の人間は、強い感情を表す時、
方言を使いたい場合がある。
標準語ではどこか、
自分の心をそのまま表すというより、
ちょっとワンクッション大人しくなる。
知らず知らず。地方出身の人あるある。
地方にいる方はその地域の言葉で
記事を書いたら
中身が相当、深みが出て、
感情も赤裸々になるんじゃないかしら?
以前、ある憲法学者が、
憲法を関西弁に「翻訳」した。
もともとは抽象的な言い回しも、
関西弁になると、ぐっと生活レベルに
変わってました。
中身が身近な感じになってた。
確か、翻訳したのは阪大の先生でした。
標準語はどこか直接的な感情を
オブラートで包んでしまう。
でも、だからこそ
他人を非難したり
自分の自慢話も
ほどほどにできるんですね。
方言で他人を非難したり
自慢話をしたら、
ダイナミック過ぎて強過ぎて、
書く側も読む側もドン引きするに
ちがいない…。
日本人の言語表現が常に
曖昧で遠回しで無責任に
感じられてしまうのは、
ひとえに、明治期に発明された
「標準語」のせいでしょう?
方言で読み書きするようにしたら、
noteはどれくらい、
ダイナミックに変化するかしら?