【書く】文春の記事は名文か?名文とは何か?考えてみる
名文とは何か?
毎日、毎週、何万人もの人に向けて
仕事で文章を書いている人がいます。
新聞記者や
週刊誌の記者たちは
毎日、毎週、
何万人、何十万、何百万の人に
文章を書いている。
彼、彼女たちの文章は
おおむね、分かりやすい。
サクサク読める。
分かりやすさで言えば、
日本で有数なレベルの文章だろう。
事実の流れや、
人間と人間の関係性が
すぐに頭に入ってくる。
サクサクと読めるという意味では
凄い才能と技術を持った人たちだ。
でも、こうも感じるんです。
私は週刊文春の文章で
感動したことはあるかしら?
朝日新聞の記事で
感動したことはあるだろうか?
名文とは呼べるだろうか?
「名文イコール感動」というのは
私の思い違いなのかしら?
では、名文とは何か?
この定義はとても難しいですが、
まずは、分かりやすいこと。
誤読しにくい的確さ。
この2つの要素なら、
週刊文春の記事も備えてる。
これが名文の定義なら、
当てはまることになりますね。
では、改めて、名文とはどんな文章か?
まずは、心に残りやすいこと。
心に染みること。
想像力がかき立てられること。
といった辺りでしょうか。
週刊文春の記事が
私の中で名文とならないのは、
そこには、カタにはまった、
テンプレートな文章で
出来あがっているからです。
記者やライターは
いかに読みやすい文章の
テンプレートを身につけるか、
そこを目指して、
日々訓練しているでしょう。
マスコミ界では、
スマートな文章、
「カタ」が大事なんですね。
カタは大事です。
カタをいくつ持っているかが
雑誌や新聞の記者には要になる。
カタがなければ、
記者もうまく書けないはず。
あとは、
イギリスの作家モームが
言っていたように、
書く人が持つ独自の個性の強さに
依るでしょうか。
また、何をテーマにするかも、
大事に違いありません。
あ、それから言い忘れてましたが、
文章は、人間みたいなもので、
上品さ(時には下品さ)や
勘の良さや論理性、感受性、
驚かせる引力などが
備わっていることが、
名文の基本条件と言えるでしょう。
結局は、名文の定義は、
読む人を引きつける力、
ということになりそう。
では、さらに問いましょう。
どんな文章が人を引き付けるのか?
それは、文章教室では
学ぶことが出来ないもの。
ふだんから、自分や他人や世界を
どう眺めているか?観察することか。
つまり、最終的には、
地道な基本の積み重ねが
名文の定義になるってことか?
でも、文春の記事で
心に残った体験は、
どうもそんな記憶はないようです。
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