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【時代】ポスト村上春樹は、いつやってくるのか?

日本人は、集団になると、
べたべたとウェットになる、
とは、よく海外との比較で言われる。

私も、小説を読みながら、
日本の明治から戦後、昭和末までの
小説たちは、ウェットだと思う。
海外小説では感じたことはない。

それにしても、
日本人はなぜ、べたべたになるの
でしょうね?

「日本の場合は、どうしても
コミットしだすと、みんな
べたべたになるというところが
あるのです。一丸になってしまう。」

これは『村上春樹、河合隼雄先生に
会いにいく』(新潮文庫)で、
村上春樹に河合隼雄が語る場面。

また、こんな語りもある。
「それぞれいろいろな事情をもって
ボランティアに参加していても、
週に3回来られる人と1回しか
来られない人がいて、 
3回来られる人がいばるというのが
出てくるのですよね」

これはさっきの話の後で
村上春樹が続ける場面です。

コミットメントは、
社会やマイノリティと「かかわる」ことですね。

で、このコミットメントが
政府に向かえば学生運動にもなるし、
震災後のボランティアにもなる。
あれもコミットメントのひとつですね。

それで、河合隼雄さんも、
村上春樹も、コミットメントして
社会に関わるのが日本では難しい、
その理由のひとつに
ウェットな性格を挙げていた訳です。

ただ、これは平成八年に
単行本が発売された本です。
1996年です。かなり古い。

今の若い世代、
たとえばゼット世代は、
そんなにウェットではない気もする。
クールでスマートな印象を受けます。

ただ、集団になったら
また、それはわからないですが、、、。

それから、
感染病が社会を覆ってからは、
私たちは、
シンプルに、
コミットする、
いや反対にデタッチメントする、
という二元論では、
なくなっていませんかしら。
国や政府、役所とは
治療やワクチン接種のため、
積極的に統治側と関わるように
なってきました。

自分たちの大切な健康が
かかってますからね。

そんな訳で、
コミットメントする、
デタッチメントする、
という二元論では
説明がつきませんね。

この辺りを、
無意識に経験してきた人が
社会に入ってきたら、
面白い時代になりそうです。

小説やマンガや映画も、
今までのものとは違うでしょう。
キーワードは
「ポスト村上春樹」、、、かなあ。

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