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【多様性】ダイバーシティは本当にやってくるの?

ペストが流行った後で、
さまざまな古い価値観が変化して
ルネサンスが始まる、
というのは、
イタリアもフランスもイギリスも
よく似ている。
たいてい、15世紀から16世紀の歴史ですが。

でも、どうです?最近の日本は?
もう感染病がやってきて以来、
弱い立場の人への価値観が
昭和とはうってかわって、
許されない時代になってきた。
これはいいことです。

一方、デジタル化では
仕事場や私生活でも、冠婚葬祭でも
これまで必要だと思ってたことが
実は要らないなあ、となってきて、
今まで当たり前に見えた世界が、
どんどん変化してきました。

今の大変化が終わったら、
21世紀バージョンの
ルネッサンスが始まるかも
しれませんね。

人を傷つけないエンタメ、
徹底した多様性、
徹底したデジタル化、
それゆえ、そうした管理から
どうしても零れ落ちる
人間や存在は苦難の時代に…。

今、急速に広がる
管理&運営システムには、
どうしてもついていけない
辺境的な存在の人間たちが、
出てきてしまう。生まれてしまう。
そこで声を出せるだろうか?
出せないだろうか?

ダイバーシティ(多様性)といいながら、
どんどん同調圧力が強まっている。
明らかな矛盾、葛藤ですね。

特に気になるのは、
生産性や意味を求めるあまりに
生産的でないと断じられた人や存在が
あっさり無用だと決められること。
優生思想は、絶対に
体現化してはならないと思う。
なぜなら、実は大勢の人間の
頭の中に、優生思想は潜みやすく、
あっというまに
第2のヒトラーが出てきてしまう。
いや、もうすでに
ロシアに第2のヒトラーが
出てきているのか?
あれはそういうことか?

ダイバーシティは、
まだまだ定着度合いが浅い。
まだもっと議論されなくては
ならないほど、
成熟していない現状。
多様化ということが、
もっと命に関わる、
あるいは生活に係わる、
大問題になる必要があるかもしれません。

しかし、この言葉が
カタカナである限りは
まだダメなのかもなあ。

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