【文学】それは文学と呼べますか?~文学と非文学の境目を考える~
「文学」って一体何でしょうか?
「保育園落ちた日本死ね」。
2016年に書かれ、
待機児童問題の悲惨さについて
日本中に衝撃が走りました。
ところでこの元になった
40行ばかりのブログ、
あれは「文学」と呼べるか?
私は、あれも「文学」足り得ると
思っています。
なぜなら、見ず知らずの他人が
書いたにも関わらず、
大勢の人たちが、
共感や衝撃を起こすほど、
みんなに通じる内容だったから。
みんなが大事だと考えている
事案(待機児童)について
誰もやれないような
オリジナルな言い方で書いたから。
そういって他に思い出す文章に
「丸山真男をひっぱたきたい。
31歳フリーター。希望は戦争。」
という主張も、あります。
2007年に赤木智弘という人が
もともとは雑誌に書いたもの。
仕事がない悔しさや、
閉塞感に包まれた日本を嘆く文でした。
こちらも発表当時、ネットで
話題になりました。
でも、こちらは「文学」と
呼べない気がしました。
個人的な恨みつらみが全面に
出過ぎていて、
訴えたいことの「普遍性」は
若干感じられるにも関わらず、
あまりに身勝手過ぎる文面に
不快感がそれより勝って感じました。
「文学」とは何か?など、
きちんと定義できる訳では
ないのですが、
人の心を揺さぶる深い何かが
詰まっているものが
文学ではないでしょうか?
スーパーのチラシは
文学ではないけれど、
お経は、口語訳にしたら
「文学」かもしれません。
いや、スーパーのチラシだって
コピーが「文学」なものは
あるかもしれない。
時には、
文学書のようにカバーされ
本屋で売られているのに、
「文学」ではないものも
あるかもしれません。
文学は必ずしも本の中にある
ものではないですよね。
心を研ぎ澄ませていたら、
街のあちらこちらに「文学」は
転がっているような気がします。
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