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【言葉】「人生」というコトバが苦手だった

「人生とは何か」という
言葉があまり好きではなかった。

「人生」という言葉がまず、
固さというか重いというか。
さらに「とは何か」って、
重みが更に増すでしょう?

学生時代、大学時代は
むしろ、その重み、固さに惹かれて
使い倒してました。
言葉に酔っていたのでしょうね。
 
本のタイトルでも、
人生論とか、
生きるとは何か?とか
そうした言葉を含んだ本には
ついつい手が伸びました。
好きでしたね。

でも、哲学より文学が
元来、しょうにあっていたのか、
固く重い言葉使いに
だんだん辟易するようになり、
20代後半には、
「人生とは何か」と
言葉にしたり書いたりするたびに
自分の身の丈に合ってない違和感を
強く感じるようになりました。

人生、、、って言葉じゃない
もっとぴったりな言葉はないかな。
口幅ったいよなあ。

せめて「活きる」と字を変えるのが
精一杯でしょうか。

どうして、人生とか、
人生とはとか、固い言葉しか
ないんでしょうね?

そんな20代を過ぎ、
やがて「人生とは何か」なんて
自分に問うこと自体なくなりました。

哲学者にはなれなかった。 
私は哲学者を諦めました。
もっと柔らかい問いかけがしたかった。
  
さて。30代は仕事と恋愛が
とにかく楽しいリアルな人間となり、
生きることに疑問を持つことも
なくなった時代でした。

それが、39歳で、うつ病になり、
また、先祖帰りしたかのように、
人生とは何か?を
問いかけるようになるんです。

その時はもう、
人生とは何か?という言葉が
口幅ったくは感じなかった。

でも、やはり固いなという印象は
今も拭い切れないでいます。

今日、私の感覚にそっくりな人に
出会い、嬉しくなりました。
ああ、やはり同じ気持ちの人が
いたんだあ、私が変じゃなかった。

それはこんな文章でした。
「人生というコトバで生きることを
総括?するのはほんとは好きじゃない。
だから人生論も好きじゃない」

そうそうと私は気持ちよく
嬉しくなって頷いて、
さらに次の段落に読み進んだ。

「生身で生きるものだから」と
作者は書き進めます。

うーむ、私よりさらに深く
先に思考を進めている。
「生身で生きる」かあ。
なるほど、「人生」とか
「人生とは何か」と言う言葉が
重く固いという感覚は
「生身の生きる」ものだったから、
にちがいない。
この作者は私よりはるかに
素晴らしい思考の持ち主だなあ。

この文章の作者は、
みなさんもご存知、
谷川俊太郎さんです。 
『幸せについて』ナナクロ社 p17
やはり、谷川俊太郎さん!

幸福とか、幸福とは何か?など
幸福についても同じことが言えそう。

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