社会人一年目なんて、いらない。

当時社会人一年目の自分に向けたメッセージを書く「#社会人1年目の私へ」。僕は『社会人一年目なんて、いらない。』という若干アンチテーゼな話をする。

社会人一年目がいらない、なんて言うと「いやいや、あるでしょ」と絶対突っ込まれるだろう。いや、そりゃ時間軸としては当然ある。

僕が言いたいのは、【社会人一年目だから】、というレッテルは誰にとっても必要ない、ということだ。

社会人一年目だから…?

僕がこう思うのは、社会人一年目だから、という接頭語が持つ諦めのニュアンスがなんともいやだからだ。

社会人一年目だから許される、なんていう。いや、そんなことはない。信頼も経験も無いのだから、許されるのではなく諦められているだけで、失敗したらそりゃ怒られるし、怒られるのはとても怖い。

社会人一年目だから挑戦できる、なんていう。いや、そんなことはない。挑戦できる幅は、年を取れば取るほどどんどん増えていくのだ。はじめに挑戦できるのはたかが知れている。

社会人一年目だから怖いもの知らずでガムシャラに行ける、なんていう。いや、そんなことはない。わからないことだらけで、怖いものだらけだ。

そう考えると、体のいい「社会人一年目なんだから頑張れ」発言は、本当に無責任な言葉だし、恐怖すら覚える。

いくつもの『一年目』。

少し話は変わって、僕たちはこれからいくつもの『一年目』に遭遇する。

部署異動の一年目。転勤の一年目。上司としての一年目。夫婦の一年目。お父さんお母さん一年目、おじいちゃんおばあちゃん一年目。

どのすべてでも僕たちは同じように、そこはかとない不安な気持ちに遭遇する。しかし「〇〇一年目だから仕方ないね」なんて諦められたようなことは言われない。とにかくチャレンジしなければならない。しかし、社会人一年目だけ、妙にはじめから諦められているようなレッテルを貼られるのだ。

不必要な一年目レッテルは、貼るな、貼らせるな。

話を戻そう。社会人一年目だからというレッテルを無条件に貼られ、できなくてもいい、なんて気持ちでいたら、その一年間は一瞬で過ぎる。ただでさえやれることは限られているのだから、必死に自分の色を作って、出していかないと埋もれるだけだ。

そして、先にも書いた通り、我々にはさまざまな『一年目』がこの先、何回も何回も、毎年毎年のように訪れる。社会人一年目なんて、特別でもなんともなくて、そのうちの一つだ。

社会人一年目の君よ。一年目レッテルを受け入れていては、いけない。自分で【一年目だから】を排除しろ。それだけできっと、強くなれる。

そして、社会人一年目以外のひとたちは、そのレッテルは貼ってはいけない。もちろん、優しく色々教えることは必要だけど、はじめから諦めることは必要ない。

社会人一年目なんて、いらない。心配も不安もみんな一緒だ。みんな、なにかの一年目なんだから。

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