【作家】11月25日、切腹して50年目。三島由紀夫は凄いのか?愚かなのか?どこまで計算か?本心なのか?
本は好き!文学も好き!
でも食わず嫌いな本や作家はいっぱい。
「赤毛のアン」シリーズは
一度もページをめくったことがない。
日本なら、島崎藤村や志賀直哉、
堀辰雄や川端康成らも
中編、長編は向き合っていないまま。
でも、もう彼らの作品は
主題がもはや形骸化してるように思い、
気にもならないんです。
これからも、読まないままだろう。
でも、三島由紀夫は度々
気になっては、視野に入って来ます。
短編は印象深いのがかなりあった。
だけど、中編とか長編は
読み通せた試しがない。
なんだか、文章は巧くて
美しいのは分かるんだけど、
心を揺さぶられたのは、
『仮面の告白』くらい?
『鏡子の家』『禁色』『豊穣の海』
『午後の曳航』『愛の渇き』『音楽』
長編はほとんど、私の心の表面を
ツルツルと滑るばかり。
三島由紀夫はほんとに
凄いのか?ひょっとして
見かけ倒しなんじゃないか?
そんな疑いすら持ってしまう。
もしかしたら、
太宰治好き人間(私)には、
ライバルと見なされた三島は
相性が良くないのかなあ?
人生の後半に
ボディビルと軍隊ごっこに
明け暮れたのも、
シンパシーを懐けない
理由かもしれない。
でも、軍隊ごっこなんて
言ったら、三島に失礼か。
来月11月25日は、
三島由紀夫が自衛隊のバルコニーから
クーデターを呼びかけ、
失敗して切腹自殺した日から
50年目の節目になるそうです。
彼には命懸けの呼びかけだった。
それに、失敗する確率が高いと
覚悟していたらしい。
自衛隊(今の市ヶ谷)では、
三島由紀夫の演説は
自衛隊員たちの野次や
ドタバタ騒ぎや風音で
きちんとは聞こえなかったらしい。
三島は今で言う、自衛隊を
日本国家の軍隊と定める改憲と、
アメリカ軍の撤退を求めた。
今、演説文を読んだら、
中味はそんなにおかしなことを
言ってる訳でもない。
賛成か反対はおくとして…。
ただ、自衛隊の総監室に入り、
総監を人質に立て籠ったり、
演説が失敗となるや
儀式に則って、割腹自殺を実行した。
愛国主義の同士に首を介錯させている。
事件当時は、三島の首の写真が
メディアを騒がせたらしい。
この事件のどこまでが
三島の本心だったのだろう。
自意識過剰な、おそらく
日本文学史上最大の自意識過剰人間が、
ずっと芝居を演じるように
45歳の人生を生きてきて、
最後にたどり着いたのが
日本の政治的、また文化的な
右傾化だったのだろうか?
本当に三島由紀夫という作家は
面食らうというか、分からない。
そもそも理解できるかもと
彼の本を手にするのは、
無礼僭越なのかもしれないな。
「なまじな魂で分かろうとするなよ、
この小僧が!」と言われてるようだ。
文学的な宿敵だった太宰治だって、
あの死は自殺だったか?
死にたがり屋の愛人女性に
巻き込まれたか、未だ分からない。
自意識過剰な人というのは
どこまで演じてるのか?
どこからが素顔なのか?
簡単には分からないですからね。
分からないものとして
虚心坦懐に作品に素直に向かうしか
読者には道はないでしょう。
自殺か巻き込まれか?
本心か芝居か?なんて愚問で、
ナンセンスな腹だったかな?
三島由紀夫作品は
果たして凄いのか?
見かけ倒しなのか?
どこまでが計算なのか?
ずっと喉に刺さった魚の骨のような存在。
今年11月25日は、没後50年目だから、
これからネットや雑誌で
たくさん三島のことを見かけそう。
三島の食わず嫌いはそろそろ
直せるといいかな?
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