【読書】偏らない読書、バランスいい読書って何だろう?!
偏った読書傾向の人がいる。
もう少しスタンダードな
本を読んだらいいのになあ?
もう少し見晴らしよく
本を選んだら?と思ってしまう。
余計なお世話ですが。
世の中には、
岩波文庫も新潮文庫も
村上春樹も三浦しをんも
太宰治もカポーティも
読んだことがない奇書読みがいる。
それでは、その人の精神が
偏ってしまわないかが心配になる。
また、反対に、
ベストセラーばっかり
読む人がいる。
そうなると、たまには
歯応えのゴツゴツした
本格的な本も読んでみたら?と
思ってしまう。
余計なお世話ですが。
どちらにせよ、
私は単なる余計なお世話だ。
ただの天邪鬼に過ぎない。
さて。本題です。
偏らない読書って
そもそもあるのでしょうか?
どんな基準がそろえば、
偏らない読書傾向だと
いえるのでしょうか?
現代日本の作家の本を読んだら、
次は韓国の作家の本を読む。
次は明治や大正の日本文学を読み、
そうしたら、
次は同時期の鈴木大拙や三木清らの
日本の思想家の本を読んでみる。
その次はまた、そろそろ、
日本の現代作家を読んでみる。
すると、今度は甘えずに、
ドストエフスキーに行ってみる。
ドストエフスキーは長いから、
途中で、また浮気性が出て、
北村薫や米澤穂信の短編集を
さくっと読んでみる。
また、たまには詩歌を読もうと、
長田弘や茨木のり子の詩集を開く。
するとまた、ゴツゴツ歯応えのある
三島由紀夫の『仮面の告白』でも
読んでみたくなり、原点に立ち返る。
純文学に飽きたら、
次は、アメリカの酔いどれ詩人、
ブコウスキーの小説で
欧米文学のエッセンスを
味わい酔いしれる。
するとまたそろそろ詩歌が欲しくなり、
石垣りんの詩集を開く。
あれ、あれ、最近は
村上春樹を読みたくならないことに
気づいてしまった。
そうか、もう村上春樹に私は
お腹いっぱいになりつつあるのか。
ガーン!
こうして、自分の読書傾向を
改めて文字にして書いてみたら
ノンフィクションや
ミステリーや
人文の専門書や理系の入門書は
ほとんどないことがわかりました。
うわあ、
私もかなり偏った読書を
していたのですね(笑)。
偏ってる知人に
余計なお世話をしてる場合じゃ
ありませんでした(汗)。
でも、自分で選ぶから
こうして偏っていくだけで、
無人島で一人、海辺を歩いていて、
仮に「月刊盆栽」とか(笑)
お経の写本とか、
おせち料理のレシピとか、
ランチュウの育て方とか、
そんなマニアックな本を
見つけたら、
それはそれで持ち帰って
楽しく読める自信があります。
どんな本もきっと楽しい。
楽しくない本なんてないんですよね。
こんなだから、
私はついつい目移りがして
並行読みをしてしまうんだなあ。
浮気性、ということか?(汗)。
恋人には一途でありたい。