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【女性の幸せ】向田邦子は自分らしさを選んだ先駆けだった

向田邦子さんに
「手袋をさがす」という
人気の高いエッセイがありますね。

寒い冬の間、気に入った手袋が
なかなか見つからなくて、
見つかるまでは妥協せず、
とことんさがしていた
そんな真冬のお話です。

当時は、暖房もないから、
手袋を身に着けない女性は
まずいなかったらしい。
だから、手袋をもたない向田さんは
相当な意地っ張りとして、
周囲にうつっていたという。

でも、向田さんとしては、
気に入った手袋がないのだから、
仕方がない。

その頃、ある晩、
会社の上司が向田さんに良かれと思って、 
こんなアドバイスをした。
意地を通すのが手袋だけなら、
まだいいけど、
結婚にも意地を張るなら、
女の幸せまでとり逃すよ、と。

これは今ならアウトだろう。
セクハラ認定まちがいない。
しかし、「女の幸せ」は
お見合いして、結婚して、
夫に寄り添い、子供をもうけ、
良妻賢母という人生を生きる、
それが女の幸せだと、
世の中の人が疑わない時代だった。
 
いや、向田邦子は、
それがイヤで独身を生きた訳だから、
「女は良妻賢母を」という価値観から
はみ出す生き方が女性の中から
出始めていた頃合いでしょう。
向田さんはその先駆けだったんですね。

あるいは、
向田さんの父親から
こんなふうにも言われていた。 
意地を通すのは若いうちはいい。
愛嬌で回りも許してくれる。
だが、年をとってしまうと
そのまんまだと苦労するぞ。

この言葉の奥にも、
やはり、女の幸せは
妥協しなくてはという価値観が
背景にありますね。

父からも常々そう言われていた
向田さんはある夜、上司からも
アドバイスを言われ、改めて考えた。

このないものねだりで
高望みな性格を直すべきなのかと。
そうして、 いいや、私は
この性格のままで生きていこう、
小さな反省ばかりするのではなく。
そう決めたんですね。
 
昭和ではまだまだ、
女の幸せという価値観は
強かったにちがいない。 
そこを突破しようとしたのが、
阿修羅のような覚悟だ。
女性が自己の考えや才能から
結婚せずに生きるのも、
アリだというのは、今なら 
当たり前になりましたけど、
これは「自分らしさを追求する」の 
さきがけにちがいない。
当時はまだまだ、
マイノリティだったでしょう。
向田さんは自分らしさを、
半世紀前に喝破して
いち早く実行した賢人だったのですね。

ちなみに、原田マハは、
向田邦子をこう呼んでいます。
「自分の中にベースとしてあるのは
一人の女性としての
『向田邦子スタイル』だ」と。

向田邦子がなぜ
こんなにも読まれ続けるのか?
その一端がこんなところにも
あるように思えてならない。

ひるがえって、悔しいのは、
私は40代でウツ病になった時、
私もそれなりに、
ないものねだりだったけど
気が狂わないよう、 
平和に穏やかに生きることを
最優先してしまったことです。 
妥協したんですね。

あの頃に戻れるなら、
ないものねだりを直さないで
自分だけは特別な人間だと信じ続け、 
生き続けていたならば、
今頃、作家になっていたかもしれない
(笑)。
いいや、結局はそんなに才能は
なかったから、
今のように、穏やかに平和に
生きて、正解だったにちがいない。

ああ、結局、私は今みたいで
よかったのかな。

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