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#29中国リハビリ記録【嚥下障害を抱えた老紳士】

1. 異常気象の冬と老紳士の訪れ

それは、数年に一度の大雪と言われる異常な冬のことだった。寒さに慣れない地域では、雪はただでさえ人々を混乱させる。僕が働くリハビリ施設にもインフラ障害をはじめ、その影響が例外なく訪れていた。そんなある日、彼がやってきた。

「祖父が嚥下障害で悩んでいて……」と、家族の一人が説明する。95歳になるというその老人は痩せた身体を毛布に身を包み、車椅子に座っていた。表情はどこか穏やかだったが、冷たい空気の中に晒されていたせいか、彼の手は冷たく凍りついたようだった。

彼の家族は、雪道の中1時間以上かけてこの施設に通ってきた。高齢者にとって、冬の寒さは体力的に厳しい。それでも、家族は彼のためにリハビリを続けたいという強い意志を持っていた。

だが僕らの施設には言語療法士がいない。僕は施設の介入に対する限界を踏まえ、できうる限りの対応を考えた。

2. 嚥下障害との闘い

彼の症状は重く、水分を飲み込むことが特に難しいということだった。日本から持ってきたとろみ剤の使用を検討しつつ、甲状軟骨(のど仏)の等尺性運動や呼吸トレーニングなど、いくつかのメニューを組み立てた。

作業療法士と話し合い、まずは姿勢のセッティングを試みる。彼の骨ばった身体を椅子に丁寧にセットし、首の角度を微調整する。彼の喉をサポートするために、温かいタオルで軽く包んだ。

口腔内の衛生が保たれていなかったため、ガーゼやブラシを使って口腔内の清拭を実施。それだけで、彼の顔にはわずかながら安堵の表情が浮かんだ。

「これなら、いけそうですね」と僕が声をかけると、彼はゆっくりと頷いてくれた。その表情には、安堵のような笑みが込められているように感じた。

症状とプログラムの立案時に作った資料の一部。
作業療法士の同僚にもたくさんのアイディアを提案してもらった。

3. 雪の中の希望

初めてのリハビリの日から数週間が過ぎた。劇的な改善は難しいと感じていたものの、彼は小さな変化に希望を見出していた。温かいお湯であれば少量飲み込めるようになり、柔らかいご飯も食べられるようになった。

「食事が少し楽になりました」と家族が報告してくれた。その言葉に僕は幾分ほっとした。

老人は穏やかで、とても紳士的な方だった。その痩せた手には、透き通るような血管が浮き出ていた。しかし皮膚は清潔の保たれていた。

リハビリの合間にその手を見るたび、僕は思わず自分の祖父母の姿を重ねてしまった。彼がどれだけ大切にされているか、その姿からも伝わってきた。

4. 二ヶ月間の関わり

彼と過ごした時間は、決して長いものではなかった。リハビリの期間はわずか2ヶ月。通う大変さもあり、家族と話し合って家族とのリハビリに移行することになった。

最後の日が近づいたある日、彼が静かに言った。

「ありがとう。あなたのおかげで、昨日は数年ぶりに果物を食べる楽しさを味わったよ」

その言葉が、どれだけ僕の胸に深く刻まれたか……。彼の目が潤む瞬間、この仕事をしていてよかったと素直に思えた。

5. 雪が溶けたあと

春が訪れる頃、彼は施設を去ることになった。家族が最後に「感謝しています」と頭を下げた後、老人は振り返り、小さく手を振った。その姿が雪解けの光に包まれて、僕の心に残った。

それからしばらく、僕は彼のことを何度も思い出した。あの冷たい雪の日々、そして彼の痩せた手。あの出会いは、僕にとっても特別だった。

エピローグ:心の中の祖父

彼の姿は、まるで自分の祖父母に対する思いそのものだった。雪の日に出会った老紳士とのリハビリの時間は、ただの仕事ではなく、人としての大切な学びの時間だったのかもしれない。

「さようなら」

しゃがれた声で息を絞り出すような彼の言葉が、今も僕の心の中に生きている。

リハビリの一コマ。口数が少ない彼だが、
時折リハビリの時に見せてくれる微笑みが優しかった。

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JUNYA MORI
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