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編集者として燃え尽きた思い出

編集者として、はじめて燃え尽きた本があります。

それは、須賀しのぶさんの『夏空白花』という小説。

今日も熱戦が繰り広げられている夏の高校野球ですが、戦時中は中止となり、甲子園の鉄傘も大砲の材料として供出されてしまいました。
そうして8月15日に終戦を迎えた次の日。
一人の男が朝日新聞社に乗り込んできたのです。
これからの未来を担う若者のために。この国に夢を取り戻すために。すべてを失った今こそ、「高校野球大会」を復活させようではないか」
その言葉から始まった高校野球復活プロジェクトですが、ボールもバットも指導者もなく、GHQからはNGを出され、一筋縄ではいかなかったのでした……。

という戦後の高校野球復活を描いた歴史小説です。

おもしろい設定だなあと思ったでしょう。これ、実話なんです。

この記事を書いている8月16日の今日。本当に高校野球を復活させようと朝日新聞に乗り込んできた人がいて、それを機に高校野球復活がハイペースで動き出したのでした。

この史実を見つけ出したのが須賀さんだったのか、僕だったのかは記憶にないのですが、須賀しのぶさんとは高校野球をテーマにした文芸小説を作りましょうという話を昔から交わしていました。
須賀さんは『雲は湧き、光あふれて』など高校野球小説の書き手であり、『また、桜の国で』など歴史小説の名手でもあります。その二つの道が交わった時、ものすごい物語ができるのではないか。
しかも、高校野球100回大会の年に本を出せれば、最高ではないか!

そんなことを企んでしまったんですなあ……(遠い目)

高校野球100回大会の夏に、戦後の高校野球復活のドラマを描く。
完璧な企画です。

それは裏を返すと、絶対に延期ができないということです。

歴史小説なので資料も必要で、1週間くらい国会図書館に籠って3~4年分の新聞を読み、野球関係の動きや当時の社会情勢など、執筆に使えそうなものがあればひたすらコピーを取って須賀さんに送ったり(定期的にヒットラー生存説の記事を見つけて面白かったです)。
野球に関わる本や朝日新聞の社史をお借りして読み込んだり。
あれやこれやと駆け回りながら、連載が進んでいきました。

いっぽうの須賀さんも全力で応えてくれます。
なんと連載が終了してから、まるっと書き直すという荒業がスタートしました。

※さらっと書きましたが、だいぶヤベー話です。なんせ連載が終わってからもらった改稿原稿、主人公の名前が変わってますからね。そのへんの裏話はこちらの記事でお楽しみください▼

ここで冒頭にお伝えした話。
<裏を返すと、絶対に延期ができないということです。>
に繋がってくるわけです。

高校野球100回大会の夏。しかも地方大会がはじまる7月に出すのはマスト。遅れることは一切許されない。
しかし原稿は大改稿中。
余裕をもって進行していたつもりが、いつの間にか超ギリギリの戦いになっていました。

どうすれば良い構成にできるか打ち合わせしたり。連載中に足りなかったことを確かめに、須賀さんと大阪まで現地調査に行ったり(森が道を間違えて大阪の街を1時間くらいさまよう事故も)。
予定通りに出さないといけないけど、クオリティは最高に仕上げないといけない。
努力を続けるも、時間は刻一刻と過ぎていきます。

営業からは「まだ原稿は届かないのか」と毎朝詰められますが、一番苦しんでいるのは著者です。こちらは編集者として著者をサポートして伴走するのみ。
このへんの詳しいあれこれを書くのは控えますが、死んでも出す!と心に誓いながら、とにかく須賀さんと全力を尽くしました。いや、二人とも死力を尽くしたといってもいいレベルです。
毎日お腹に激しい痛みを抱えていたので、たぶんちょっと穴が空いてた気がします。

死闘を制して無事に本が完成し、連載時から面白かった原稿は、その3倍くらい面白くなっていました。それは著者の須賀さんが頑張りぬいてくれたおかげです。本当にすごいし今も感謝の念しかありません。書き切ってくださった――そう思います。
と同時に、僕自身も編集者としてやり切った気持ちがありました。

当時の僕は編集者としてもう一段ステップアップしなければいけないという焦りと危機感があって、一皮むけるためにも全力を出し切る機会を探していました。
だからこの『夏空白花』は、編集者として、一人の人間として、やっと燃え尽きることができた作品なのです。

(※編集者としては全ての作品に全力で向き合っています。かけているカロリーが違うという話ではなく、時間の制約などいろんな条件とプレッシャーがある中でやり切ったという話ですので、誤解なきようお願いいたします)

※※

一度でいいから燃え尽きてみたい。
そもそも、ずっとそう思っていました。

高校球児のように大きな大会を目指して部活に打ち込んだ経験もありませんし、受験勉強もそこそこ頑張ったくらいです。大学でアニメの自主製作にのめり込みましたが、あくまで趣味の範囲内です。

人生で一度くらい燃え尽きてみたいし、やり切ることができれば、何かが変わるのだろうか。
「悟り」の境地にいたるように、焦りや嫉妬や悔しさやそういう感情が薄くなって、澄んだ心になれるのではないだろうか。
そんな期待も持っていました。

しかし『夏空白花』でやり切った充足感を得たあとは、ただビールが美味しかっただけで、何かが変わることもなく。
残念ながらこれまで通りの僕であり、明日からもこれまで通りに本を作っていかねばなりません。

編集者としてエンタメを作る時には、ある切っ掛けを機にぱあっと心が晴れるような物語構成を意識しますが(抱えていた悩みが、料理を食べたことで解消する、みたいな)、まあフィクションのように簡単に人は変われたりはしないのです。
そんな現実にがっかりしながらも、得られたものがありました。

自信です。

あの本を作り切ったんだから、次に同じような修羅場が訪れても大丈夫。なんとかなる。
心の中に、そんなささやかな自信が増えました。
編集者として変われはしなかったけど、たぶん、ちょっとだけ強くなれたのだと思います。

あれから、いろんな修羅場があり、いろんな形の燃え尽きを経験してきました。編集者として、人として、今も解脱はできないし成長せぬままですが、「なんとかなる」精神だけは積み重なってきているような気もします。
でもまあ、この「なんとかなる」をたくさん持っていることは、案外大事なのかもしれません。

いつか本当の意味で燃え尽きて、新しい世界が見える日がくるのでしょうか。物語に出てくるようにぱあっと心が開けて、気づきが得られる日がくるのでしょうか。
そんなことを夢見つつ、また燃え尽きられるように次の本を頑張ろうと思います。

僕がはじめて燃え尽きた『夏空白花』
青春のような最高の経験をさせてもらえて、この本と須賀さんには今も心から感謝しています。
夏空の下で白球を追える平和を噛みしめられる名作。本当にね、すごくいい作品なので夏の内にぜひ読んでみてください。










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森潤也|文芸編集者
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