どうしてモンスター斉藤知事が生まれたのか?
兵庫県知事への百条委員会での県会議員達の詰問に対して、平然と詭弁を弄する斉藤知事。自〇に追いやった県幹部達、県職員の勤労意欲を阻害、県政が沈滞、そして担税県民の心を厭世的な気分に追い込んでいる道義的責任すら感じないモンスター兵庫県斉藤元彦知事がどうして生まれたのか考えた。
明治維新に行われた最大の行政改革は地方分権制度を解体した廃藩置県である。江戸時代には全国に261の藩があった。名君の差配で交易や産業振興や金銀の採掘で財務状況が良好だった藩もあったが、参勤交代による出費や、過度の年貢収奪により、殆どの藩は財務状態は窮乏していた。その窮乏を棚上げして、約5分の一の47の都道府県に収れんさせ、天皇中心の中央集権国家にして敗戦まで国力を高める事に成功した形骸が今も続いている。
戦後、日本恒久的弱体化の為にGHQが行った施策として、国家観の欠落した憲法の押し付け、社会規範を持たない愚民醸成、そして第二次世界大戦を引き起こし、勝負時で重大な決断を度々誤らせた官僚制度の温存であった。
確かに、日本の官僚は優秀であるが残念ながら勝負勘、国際感覚に欠ける。
日本の中央主権の残滓の象徴が、優秀な大学を出て総務省に入省し日本各都道府県に出向し研鑽を高め、爾後、時の政権に担ぎ出されて都道府県知事に転出するコースだ。日本の都道府県知事の約半数がこのコースを辿っている。その一人が当時関西で勢いのあった日本維新の会に担がれた斉藤氏だ。
日本維新の会の源流は、元通産相役人で大阪万博を仕切った堺屋太一氏とテレビタレントで弁護士だった橋下徹元大阪府知事との邂逅にある。40年前に堺屋太一氏と交流していた僕にすら、堺屋先生は日本の行政改革を行うに、僕の様な若い力が必要だと力説されていた。橋下徹氏のデビューは大阪府市の行政改革には一定の成功を収めたかに見えたが、その手法は強引過ぎた。
堺屋先生は『〇○〇を使っても、行政改革を行わねば』と口を滑らせて晩年は危険人物としてマスコミから抹殺された過去がある。日本維新の会の現主要幹部は堺屋さんが考えていた行政改革は行って来たが、その手法は強引かつ峻烈でありすぎる。また既存政党と同じ利益誘導型政治を行っている。兵庫県でも井戸前知事退職後、斉藤体制にそぐわない人々は粛清されてきた。
世界はAIやデジタルトランスフォーメンションの時代に突入している。警察組織も公共投資も各都道府県を串刺しする事が普通の時代だ。地方自治体も中央集権的な廃藩置県では無く地方分権的な廃県置州に置き換えてアメリカ合衆国の様に日本合衆国として10位の行政州に再統合する時期に来ている。
民主主義的な手法で各州民が新知事の人間性も含めて厳しい選挙を経て、選抜する時代に突入している。正にこれこそが堺屋先生の考える行政改革だ。
時代の変遷は斉藤元彦県知事を金井元彦元県知事の再来として許さない。
悪しき中央集権的制度の残滓を引き継ぐ斉藤知事は残念ながら鬼っ子だ。