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民主主義の課題と可能性-フォルケホイスコーレ生活から考える

デンマークでのフォルケホイスコーレ生活が始まって3ヶ月が経ち、すっかりこの環境に馴染んできました。

今回、私が1つ心残りになっていることについて書いていきます。ホイスコーレ生活でテーマとなる「民主主義」についてです。ホイスコーレ生活でのテーマである『民主主義的な思考を育む』ことに向き合えていないと感じています。

「ホイスコーレ生活の中で、民主主義を考えるとは何か?」そもそも「民主主義とは何なのか?」「民主主義は本当に正しいのか?」「私たちはどうすべきなのか?」

民主主義について改めて考えてみます。


そもそも民主主義とは?

民主主義を簡単にいうとみんなで話し合って決める考え方だと思っています。

「民主主義」の使われ方は、政治としてか日常での使うかで変わるとは思いますが、個人の背景や意見を尊重すること、合意を得るプロセスを大事にすること、話し合うことなど、民主主義の根幹部分は共通する部分だと思います。

例えば、高校の文化祭の準備をする場面を考えてみます。リーダーと催しを決める必要があり、みんなで話し合いながら決めました。これは民主主義的といえます。先生がリーダーを決めたり、これをやりなさいと決めてしまえば、その場には民主主義はないと思うはずです。後者には、話し合いの機会がないからです。

ホイスコーレ生活の中の民主主義とは?

ホイスコーレ生活の中の民主主義とは?

ホイスコーレの話に戻ります。ホイスコーレの大切な理念に、「民主主義」があります。民主主義的思考を育てる場としてディスカッション主体の授業がされていたり、民主主義的解決の方法を大切にします。

例えば、日々の授業の内容や行事の運営についても、学生同士が話し合い、確認をしながら行います。毎週木曜日には、生徒同士が学校の運営について話し合う機会もあります。

このような創作も1つの民主主義の形かなと思います。

ただ、私はこの生活がいつも心地いいなと感じるわけではないです。違和感を感じる場面もあります。例えば、いつも発言する人は似通ってきます。発言する人ばかりの話が聞かれ、発言をしない人は損をしてしまうなと感じることもあります。声を上げられる人の声は反映されるし、しない人は反映されないということです。発言がしやすくなるような工夫があればなと感じることもあります。

もちろん、民主主義を感じる場面もあります。例えば、常に話をできる場が至る所にあるからです。自然と人が座ってしまうゆったりとしたソファ、自然に囲まれた開放感のある場、いつの間にか人が集まって会話が始まっている気がします。他にも、話の途中で人の話を遮ることなく、最後まで話を聞いてくれる人ばかりです。

開放感あふれる屋外

民主主義は本当に正しいのか?

私がホイスコーレの生活で考えたいと思ったのは、「民主主義が本当に正しいのか?」ということです。最初に説明した文化祭のケースをもう一度使います。次の2つのどちらの先生のクラスに入りたいでしょうか?

A先生は文化祭では「演劇をやろう!」と言いました。演劇の内容も配役も生徒の適性を見ながら、全て先生が決めました。先生は演劇のプロです。その高い指導力のおかげもあり、文化祭の演劇は大成功しました。クラスの団結力も高まり、みんなはとても満足しています。

 B先生は生徒の意見を尊重し、多数決でリーダーを決めました。みんなが納得できるよう、クラス30人の意見を1人1人に聞いていきます。話し合いの結果、催しは「お化け屋敷」になりました。しかし、内容決めに時間がかかったせいで、十分に準備する時間が取れませんでした。結果、中途半端なお化け屋敷になってしまいました。クラスは不満で溢れています。

A先生は全てを一方的に決めるためスピーディですが、生徒の意見は無視されています。一方、B先生は時間をかけて意見を集めたものの、結果的に混乱を招きました。A先生は「独裁政治」、B先生は「民主政治」をしたと言えますが、B先生の生徒にはなりたくないはずです。

民主主義の課題①:時間がかかる

この結果はリアルな世界でも起こり得ます。民主主義は、意思決定に時間がかかることが課題です。例えばコロナ禍では、多くの国が外出制限を行いましましたが、民主主義的なプロセスを省略した場面もありました。その強行的な姿勢について、疑問を持った人も少なくないはずです。それでも、民主主義は判断に時間がかかります。コロナウイルスは未知のウイルスでした。国を守るため、民主主義的なプロセスを無視したのです。


B先生には続きがあります。B先生にとって民主的に進めることは第一優先です。この反省を活かし、生徒の意見を尊重しながら、文化祭を成功させる方法を考えました。まず事前にリーダーになって欲しいCさんに声をかけました。Cさんがリーダーに立候補した時は、先生は「Cさんにやってもらいたいけど、みんないい?」と、クラスのみんなの合意をとった上でリーダーを決めました。文化祭の進行はCさんに任せましたが、生徒に先生の思いを常に伝え、クラス全体の意見が一致するように試みました。結果、B先生は文化祭を成功させられました。

このとき、A先生とB先生、どちらがいいのでしょうか?ゴールは同じですが、プロセスに違いがあります。けれど、B先生のやり方に少し違和感があるのではないでしょうか?なぜならB先生はみんなの合意を取っていますが、先生という権力を利用して、クラスの意見を導いているからです。

民主主義の課題②:考えが操作されることがある

リアルな社会でも使われています。SNSのようなメディアです。メディアは特定の思想に誘導するために使われることがあります。プロパガンダとも言われることもあります。B先生の例は露骨ですが、みんなの意見を聞いたふりをして、実は特定の意見を通すだけの場ということは現実社会で少なくないです。

実際、現在は個人ごとにカスタマイズした情報が簡単に送れるようになります。そうなったとき、私たちの判断は本当に自分の判断なのでしょうか?

例えば、2016年には、トランプとヒラリーの大統領選挙が行われましたが、トランプ側は選挙戦略として、トランプ支持者には「選挙に絶対に行きなさい!」とメッセージを送り、ヒラリー支持者には「ヒラリーで本当に大丈夫だと思いますか?」のような不安を煽るメッセージや、「選挙より家族が大事じゃないですか?」と選挙に行かないようにするメッセージを送ったそうです。

実は、私たちが抱いていることの考えの多くは、情報操作の賜物かもしれません。実際、ロシアや中国のように権威主義的な国は決して少なくないです。民主主義が本当に正しいとしたら、このグローバル社会のおいて、すべての国が民主主義国となっていてもおかしくないはずです。これでも民主主義は正しいのでしょうか?

民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば。

イギリス元首相・チャーチル

民主主義を機能させるためには?

ホイスコーレで生活しても思いますが、私は民主主義が好きです。正直、みんなで決めるのは大変です。それでも、誰かが勝手に決めた決定よりも、自分がその決定に関与できているという納得感を感じることができます。

しかし、民主主義は課題があり、必ず民主主義が正しい形ではないというのも事実だと思います。私たちの生活でも、「あの人に任せた方が、絶対に上手くいくから、何も意見を言わないでおこう」という民主主義を放棄する場面を見たりもします。

だからこそ、民主主義を機能させるために、私たちは民主主義的思考を育てる必要があると思います。私なりに、民主主義を育むために大切にしたい3つのことを考えてみました。

①偏見を無くすために、読書をしたり旅に出る

私たちは、常にバイアスを持っています。「あの人が言うなら正しい」「あの人の意見だから」他にもSNSの情報は常に正しいとは限らないのに、信じ込まされてしまいます。最近では特定の人の発言を切り取った動画も多く、そこだけを見てしまうと間違って理解してしまうこともあります。

だから、読書をしたり旅に出ることが大切だと私は思っています。読書をしたり旅に出ることで、短い文章では補えない文脈やバックグラウンドを知ることができます。常に、私たちは相手の背景を受け取れるわけではないです。それでも、本を読み、旅をすることで、SNSよりも多くの文脈を読み取りながら、物語を読むことができます。

オーストリアで飲んだ味噌汁。レンゲも皿もつけません。これもバイアスなのか?

②意見を言いやすい場を作る

そもそも、意見を言える場がなかったら意味がないです。最近では「心理的安全性」とも言うかもしれませんが、意見を言いやすい場を作ることが民主主義の基盤だと思います。

例えば、相手の話を聞く際に、相手を理解しようと試みること、聞く姿勢、聞く場所であったり、工夫できることはたくさんあります。

③民主主義は脆弱であると理解する

偏見を無くすのも、意見を言いやすい場を作るのも、全て人に依存してしまうところです。つまり、民主主義とは、それを構成するメンバーによって機能するかしないかが決まってしまう脆弱な仕組みだと考えています。

例えば、前のB先生は生徒たちの文化祭をコントロールしようとしましたが、その人の持つ影響力によって民主主義は簡単に支配できてしまいます。民主主義は決して優れた仕組みではなく、あくまで手段です。民主主義がうまく機能するかは、結局私たち次第であると考えることが大切だと思います。

民主主義っぽく感じた写真。互いに違い合うものが集まっている

民主主義を支えるために

民主主義について、改めて考えてみると、民主主義が人によって大きく依存してしまうことに気づきました。だから、民主主義を機能させるには、民主主義的思考を育てるような場が必要なんだなと思います。

何より民主主義は決して正しいとは限らないと言うのを私たちは理解しないといけないと思います。それは、決定が遅れたり、少数派の意見が無視されたり、情報が偏ってしまったり、民主主義には課題も多いからです。

それでも、民主主義には、私たちが納得し、豊かな社会を築くために欠かせない要素があると感じます。

私も民主主義を支える一員にもなりたいなと思いました。日本は民主主義が機能していないと指摘されることがあります。北欧は民主主義が上手く機能していて、日本はダメだと単純に比較もされたりします。

しかし、日本とデンマークでは人口規模が全く違います。文化や地政学的も異なります。日本は人口の規模としても、民主主義を機能させることは難しいんだと思います。(人口が100 万人以下のほとんどの国では高度な民主化が達成されていると言われています。参考:Democracy index)

ただ、私たちは国という大きなコミュニティの一員であると同時に、会社や学校のような小さなコミュニティにも所属しています。1人1人が民主主義を大切にすることで、誰もが民主主義を支える一員になれるのではないでしょうか?



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