読書記録3:アリ・スミス、オルハン・パムク、
「犬をえらばば」(新潮文庫 草 130-3)安岡章太郎
●キャビアのカナッペを犬に食わせる江藤淳夫妻 p11
●坂口安吾「犬を連れて歩くのは、与太者と肩を組んで盛り場を通るときのようだ」p56
●推古仏はほぼ全部が全部ニセ物 p71
●「育ち」とは「いくら周囲から手をかけてもどうすることもできず、その本人内部からでなければ育ってこない美質」p76
●ローレンツ「ひと、犬に会う」。犬はジャッカル系の子孫(プードル、シェパート、テリヤなど、飼い犬の大部分)と、オオカミから出たもの(チャウチャウなど野生、獸的、嫉妬深い)の二系統がある p191 5
「引越貧乏」(新潮文庫 い 21-4)色川武大
●事を悪く悪く考えて屈託に沈みがちである p13
●劣等感を含む自分自身をかわいがるようになる。一匹狼になると自分を否定していては辛すぎてかなわない p49
●おんぶお化け p121
●ハムの味噌汁。おいしいーー?という声音が、とても女らしい感じだった。私は一生懸命ハムを食べた p137
●自分の才と世間とのバランス p202
●子がいたら、母親の主観で埋まった毎日を送らなければならないところだった p223
●自分流の物を拵えて、夜店で並べて売ってるようなもんだよ p240 7
「国家の神話」(講談社学術文庫)エルンスト・カッシーラー
文化や歴史の相対化や差別を考えるために。凄まじい本。
●ストア派による人間の根本的平等という考え方が、中世キリスト教思想に受け継がれ、やがて自然法および自然法的国家理論の基礎となる。
●19世紀初頭ドイツロマン派。形而上学的唯心論から唯物論へ。マキャベリズムの復権。
●カーライル。英雄崇拝から白色人種崇拝へ。
●ヘーゲル。英雄崇拝から国家崇拝、「世界精神の代行者」たる民族崇拝へ。帝国主義とファシズムへ。
以上のアウトラインは内容のごく一部。19世紀以降の展開は日本も同じであろう。10
「竹の民俗誌―日本文化の深層を探る」(岩波新書 新赤版 187)沖浦和光
縄文人は髪の毛が長かった→ハサミなどがなくて切ることができなかったから→おしゃれ意識と呪術的儀礼が発達して髪に櫛を挿すようになった→櫛を作るには竹が最も手軽、という展開は、考えてみればなるほどと思う。7
「ゴドーを待ちながら」(白水Uブックス)サミュエル・ベケット
何度も読み返している。おもしろいから、とかいうことではない。謎。10
「秋」(新潮クレスト・ブックス)アリ・スミス
性質が大いに異なる、大陸の西にある島国と、東にある島国。にもかかわらず、どちらの島でも「分断」が生じている。誰かが誰かにだまされているという感覚がまん延している。この時代を生きていくために、読んだほうがいい。9
「赤い髪の女」オルハン・パムク
パムクの、最初に読む本ではなかった。2
「アメリカーナ」チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
概念ではない、現実としての差別について考える。差別の同心円的構造。その真ん中、核心には何があるのだろうか。ラブストーリーで終わることの安堵と、不安。
「理解できなかったら質問すること、質問することが不愉快なら、不愉快だといってから質問すること。適切な場所から発せられた質問に答えることは難しくない。もう少し耳をすまして自分の言葉を聞いてほしいということだけのこともある。ここに友情や結びつきや理解が生まれる可能性があるのだから」(p364)8
「笹まくら」(新潮文庫)丸谷才一
兵役を逃れた者と、戦後の社会。逃れた者はアウトサイダー(部外者)であり続ける。アウトサイダーは自ら境界を踏み出た者であり、境界から押し出された者である。8
「冬」(新潮クレスト・ブックス)アリ・スミス
「秋」から「冬」へ。諍い、不和、対立を収めるために、人は何ができるのか。意図して、あるいは意図せずに。姉妹、家庭から、世界まで。同じ時間と空間をともに過ごすこと。7
「ポイント・オメガ」(フィクションの楽しみ) ドン・デリーロ
君は、君自身のなかの、他の人が知らない何かを、知っておかなければならない。「君について誰も知らないことのおかげで、君は自分について知ることができるんだ」6
「大河内傳次郎」(中公文庫)富士正晴
富士正晴の探索癖を大いに楽しむ。大河内傳次郎とは、いったい何者なのか。そして、富士正晴とは。5
「街はふるさと」(Kindle版)坂口安吾
新聞連載小説なのでまとまりに欠けるが、戦後数年の風情を背景に、魅力的な人物が登場する。坂口安吾ならでは。通俗的かつ詩的。大好き。6
「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」ジュノ・ディアス
米国におけるドミニカ人、ドミニカにおける白人と有色人、学校でのオタク。差別は重なり合ってもつれにもつれる。ドミニカの独裁者トルヒーヨ(白人)による国民(その多くは有色人)の虐殺は、かつて白人(スペイン人)が原住民(有色人)に行ったことと変わらない。そして、米国でもドミニカでも「白人至上主義や有色人の自己嫌悪」は決して変わらない。おそらく世界中で。日本語を話す有色人が、例外であるはずはない。7
「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」(河出文庫)ユヴァル・ノア・ハラリ
遠い未来は予測できても、検証可能性がある近未来は予測しがたい。著者は遠い未来を「かもしれない」と予測するばかり。世界では50年後か200年後、「アルゴリズムによって力を与えられた少数の超人エリート層と、力を奪われたホモ・サピエンスから成る巨大な下層階級との争い」が始まるかもしれない。いつか強大なアルゴリズムが支配するかもしれないが、「人間よりも少し優秀」なアルゴリズムなら十分かもしれない。ひょっとするとこの本は、「人間よりも少し優秀」と自認したアルゴリズムによって書かされているのかもしれない。1
「ウィトゲンシュタインの愛人」デイヴィッド・マークソン
「だから時々、頭の中が博物館みたいに感じられる。あるいは、自分が全世界を蒐集する学芸員に任命されたみたいに」。「世界はそこで起きることのすべて」であり、「私が書いている事柄の多くはしばしばそれら自体から等距離にあるという奇妙な感覚を覚えている」。よい本。図書館で借りた。購入したいとAmazonを検索したが、ドイツ語版の表紙はなかなかひどい。10
「人間の死にかた」(新潮選書)中野好夫
トルストイ(の妻からの逃亡)、正宗白鳥(の改宗)、スウィフト(の狂気と女性)、フロイト(の超人的な仕事ぶり)、親鸞(と息子)、江藤新平(の処刑)、プーシキン(の決闘)。正宗白鳥はキリスト教に「そっと」改宗した。そのほか、フロイト、トルストイ、スウィフトは○。江藤と親鸞は☓。プーシキンは中野好夫の別の本で読んだ(と思う)。ひょっとするとトルストイもスウィフトも?? 2
「倫理と無限;フィリップ・ネモとの対話」(ちくま学芸文庫 レ 4-3) エマニュエル・レヴィナス
他者が私を見る。たちまち私には、他者への責任が生じる。相手の責任が、私に課される。(私という)主観性は他者に対して生じている。間主観的な関係は非対称的である。つまり、他人と私の関係は相互的ではない。私は、私がすることを相手に期待しない。他者が私に対することは、その他者にとっての問題にすぎない。他者に対する責任のなかには、他者の死に対する責任がある。その根源には、他者の死への恐れがあり、それが社会性の基礎である。レヴィナスは、人がこの世界で生きるために必要な「謙虚さ」について語っているのかも。8
「LAヴァイス」 トマス・ピンチョン
原著タイトルInherent Viceは「内在する欠陥」と訳される。海上保険に関する用語らしい。LAという都市を1艘の船に見立てると、そこには数々の欠陥が内在している(ので保険が効かない=救いようがない)ということか。主人公の私立探偵は馴染みの刑事から、「子どもっぽさ」と「子どもらしさ」が異なることがわかる人間と評される。子どもらしい大人。悪事を働けない大人。白人世界の周縁にいる白人。カリフォルニアの、反体制の、サブカルの、ドラッグとセックスの、カオスの、奔放かつ真っ黒な、白いアメリカを読む。5
「気流の鳴る音―交響するコミューン」(ちくま学芸文庫)真木悠介
共産主義は20世紀末に終わったという通説がある。そしてマルクスは終わったと。しかし、共産主義=マルクスではない。マルクスの思想は終わらない。「私的所有」という概念により人間は、「対象を所有するときにはじめて対象はわれわれのものである」と考えるようになったが、本来人間は、あらゆる感覚を通じて「対象的世界を獲得」していた。このような「非排他的な」所有をめぐるマルクスの考え方は、環境、消費、情報などの問題を考えるうえで重要である。ピンチョン、パワーズ、スミスなど、現代のすぐれた小説の通奏低音でもある。7
「人間的自由の本質」(岩波文庫 青 631-2)シェリング
神は内なる二元的対立(愛の意志、根底の意志)から生じる。神の顕示に対する根底(=存在)の反作用により悪が生じるから、人間も生まれたときから悪の要素をもつ、という。そもそも、なぜ悪が自由とかかわるのか、がわかりにくい。自由と必然性との調和、という考えゆえか。現代人は自由を、必然性(因果性)から離れること、と理解する。自由と必然が調和するのは、神の世界である。S氏はこの考え(=神学)に執着し続ける。神学または神を語る哲学には、常にニーズがある。もし彼が「神学」をエポケーできていれば、と想像する。7
「春」(新潮クレスト・ブックス) アリ・スミス
企業に運営委託されている「入国者退去センター」で働く若い女性が登場。聡明であった彼女が、いかに状況に「適応」していくか。また、その「適応」はいかに手放しがたいものであるか。イギリスをみて、日本と世界をみる。木、所有について。「屋敷の庭には梨の木があって、花が満開になっている。驚くほど美しい花をたくさんつけているその木は(中略)、人々の現実や幻想、成功や失敗、その木を所有できると思っている屋敷の人々の知識や無知と、無関係に存在している」(p166)。キャサリン・マンスフィールドの小説の引用、と。7
「コンビニ人間」(文春文庫 む 16-1)村田沙耶香
「皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている。私にはそれが迷惑だったし、傲慢で鬱陶しかった」p54
「正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間は処理されていく」p77
「私はコンビニ店員という動物なんです。その本能を裏切ることはできません」p150 7
「カロや;愛猫作品集」(中公文庫 う 37-3)梅崎春生
「富士日記」だったと思うが。武田百合子が梅崎春生の訃報を聞き、「あんないいひとが死んでしまうなんて」と悲嘆にくれる記述があった。家猫3代目カロをハエたたきで打擲することを、梅崎は小説に書く。すると猫好き読者から、非難、罵倒などの便りが何通も届く。梅崎は「私は猫は好きは好き」であり、それゆえ「飼い、かまい、そしていじめる」のだと反論する。そもそも。いじめることは悪という教条、常識を、文学に投射することの無益。そもそも。ひねくれた猫に梅崎は自分自身をみている。梅崎と猫との絆の深さがある。7
「リャマサーレス短篇集」
それぞれの国に、その国のその後を形づくる、固有の出来事がある。他国の人はその出来事があったことを、知識としては容易に知りうる。スペインの内戦は1936年に始まり1939年に終わった。しかし、大戦後も政府は弾圧を続け、国が統一されたのは1977年である、というのはウィキから得た知識である。本書のいくつかの短編には、その内戦を生き延びた人が出てくる。その人々の語りや振る舞いを、著者は慎ましやかに書く。その出来事。スペインという国に「固有な」ものになったわけ。それを理解することに少し近づいた気がする。7
「黒い本」オルハン・パムク
その国の50年前を語るためには、500年前から語らねばならない。1つの街を語るためには、地上の網の目と地下の網の目を微細に、歩くように語らねばならない。人は何かを語りたがる。さらなる別の何かを語らんがために。多くの人は、「他者」の物語を語る。別人願望は満たされるが、「自分」がみえなくなる。やがて人は、自分自身という「自分」の物語を探す。ただ、「他者」の言葉なしに、「自分」を探索することは難しい。どうしたらいいのだろう? 自分を求めてかつて読んだ本をすべて忘れようと努めた人は、正気を失った。8
「折口信夫対話集」(講談社文芸文庫)安藤礼二編
柳田國男との有名な対談について。日本の神は「祖霊かマレビトか」の流れで、柳田が折口に、あなたは国学院大学の教師だから神道の「正統」に異論を唱えられないんじゃないの、と揶揄する場面がある。さすがにこれは許せぬと思ったか、折口は色をなして(二度も)反論している。対談では「調和」が乱れると、人の声、肉付きの声が、よく聞き取れる気がする。「風立ちぬ」を読んだ小林秀雄の発言(別の運命を生きてる人に、突然出逢ちゃった、よかったけど批評はしないよ)も興味深い。北原白秋とのおしゃべりは、もっと聞きたい。6
「さすらう地」(韓国文学セレクション) キム・スム
1936年。ロシア(ソビエト)沿海州の朝鮮人。3日の猶予でロシア人に、開拓した土地を追われる。持ち物は30キロまで。畑、家畜、家財すべてが奪われる。広場に集められる。駅に向かう。貨車に放り込まれる。50両も連なる行き先不明の貨車。秋から冬のシベリアを西へ進む。家畜同然に扱われている人々。語り、問い続ける。(もしも自分がその状況に置かれたら正気を保てるだろうか。)しかし今も、世界のどこかで同様の状況は生じている。その現実性を、そしてそれに自分が巻き込まれたり加担する可能性を考える。動揺する。5
「黄金の少年、エメラルドの少女」(河出文庫 リ 4-1)イーユン・リー
「自分の身の上をわかった気でいる人たちは、他人の謎を理解しないのよ」p18
「見知らぬ人の優しさはいつも記憶に残る。それは見知らぬ人の優しさが、結局はまさに時のごとく心の傷を癒してくれるからだ」p76
「優しさをもらったのだから私は彼らに借りがある」p83
「私は窓の向こうの常緑樹に目をやり、その中の一本になりたいと願った。私は人よりも木のほうが好きだった」p23
冒頭の「優しさ」がすばらしくよかったが、高齢者(らしいエゴ)や同性愛者(の屈託)の描き方もいい。複雑な現代性がある。長編も読みたい。7
「しろいろの街の、その骨の体温の」(朝日文庫)村田沙耶香
「美しい。初めて、教室に横たわっている定義に従うのではなく、自分自身の口からその言葉が零れ落ちたことに、私は少し呆然とした」p239
「「気持ちわりぃ」という、ずっと必死に避けようとしていた言葉を、井上君から得ることができて、なぜか嬉しかった。ちゃんと気持ち悪くなれたことが、いいことに思えた」p253
途中までは、学園物語のテイストで拍子抜けしたが、結末近くになって、一気に成長と愛の小説になった。あまりにも美しい展開に、年甲斐もなく泣けてしまった。思春期の子どもたちは、どう受け止めるのかな? 8
「氷の城」(タリアイ・ヴェーソス・コレクション)
わからないことをわからないまま残しておいてもいい。現実の世界もまたそういうものだし。そしてひとは、現実的・可能的なすべての世界にかかわれないから、我慢することも許すこともできる。ヴェーソスさんはその世界に、なぜ「少女」の「謎」を、謎のまま残したか。それを知るには、少なくとも彼の別の本を何冊か読まなければ。謎について、解説でも少し触れられているけど、「著者はこう言っています」と示されて、はいそうですか、となるのかな? コンテクストは必要。続いて刊行される本を待っています。4
「10:04」(エクス・リブリス)ベン・ラーナー
「僕が詩を愛する理由の一つは、虚構と非虚構との区別にあまり意味がないということだった。詩自体の強度に比べれば、テキストと世界との対応は、さほど重要ではない。詩を読んでいる現在の時制において、いかなる感情の可能性が開かれるかが問題なのだ」p191
現実/仮想、非虚構/虚構を区別することは難しい。今後、その区別はますます困難になるのだろう。一方で人間は、厳しい「現実」と日々戦ってもいる。複雑な世界にどう立ち向かえばいいか。木原善彦さんの翻訳6冊目。7
「文と本と旅と;上林曉精選随筆集」(中公文庫 か 95-1)
今まで二人の友人に、上林暁を熱烈に勧められた。何冊か読んだがあまりしっくりこなかった。本書を読んで気づいたことは、上林の「生真面目さ」である。それはいいのだけど、ある種の真面目さには、近寄りがたさも生じうる。酒に関する一連の文は、マジメに酒を呑む(酒に挑む?)がゆえの妙なおかしさ、味がある。坪内祐三が編集した「禁酒宣言」をもう一度読もう。思えば二人の友人も、真面目な人柄であった。解説は、今後読む本の参考になった。中野重治と、井伏鱒二の。よい補助線を引いてくれてありがとう。5
「武田百合子対談集」
冒頭の深沢七郎との対談は、武田泰淳が亡くなって数週間後に行われたのだという。いつもならひっちゃかめっちゃかな深沢七郎が、武田泰淳を悼んでいるにしても、異様に神妙に対談しているのがおかしい。その不思議なやりとりの裏話を、その後の鼎談(金井久美子、金井美恵子)で武田百合子が明かしていて、笑ってしまった。武田百合子は、誰と話しても武田百合子。当たり前だけれども。しかし、そこに武田百合子の凄まじさがあるように思える。6
「ジンメル宗教論集」(岩波文庫 青 644-6)
なぜ人間は「人格神」をもつようになったか、の説明からが興味深い。人間は自らの欠点、不完全性を補填するために、神に人格を与えた。重要なのは、「「私たち」の生のことがら」である。だから、神が人の上に立つのではなく、人が神の下に立つことを考えよう。拡大された人間が神なのではなく、縮小された神が人間であることを考えよう。ジンメルは独特で、難しいけど、おもしろい。6
「夏」(新潮クレスト・ブックス) アリ・スミス
冒頭の子どもたちの登場で、どうなることかとハラハラしたけれど、ブレクジットからCOVID-19に至るイギリスの物語、これにて完結。一見なんの関係もない人々は、これまでもさまざまな形でつながってきたし、これからもつながりうる。そして人は、どんなに遠いところのものでも、そうしようと思えば、近くに感じることができる。そこに「望み」があるのかもしれない。巻末の解説では、「秋」「冬」「春」との関係を少し説明してくれていて、もはや懐かしい記憶が蘇ってきた。いつかまた、4冊まとめて読もう。7
「中央線小説傑作選」(中公文庫 な 78-1)
五木寛之「こがね虫たちの夜」は、中学生の頃古本屋で買った角川文庫でドキドキ、ムラムラ、キヤキヤしながら読んで以来の遭遇で、感慨深いものがあった。松本清張の読後感の悪さは、モーパッサンの読後感の悪さに、よく似ていることに気づく。中央線は意外に「長い」し「古い」から、たくさんの文学作品があるはず。文庫版でこの分量で、という編集は容易ではない。2
「雪〔新訳版〕(上)」(ハヤカワepi文庫)オルハン・パムク
ヨーロッパとトルコ、トルコの都会と田舎。それぞれに貧富の差があり、考え方の差がある。羨ましくと疎ましさ。俗であることと敬虔さ。男女の非対称性。自己嫌悪と自己卑下。それらがもつれた厳しい環境で、何かしら誇りをもって生きるには、思考の「装置」が不可欠だろうが、別の立場の人がそれを理解することは容易ではない。「幸せ」という言葉一つとっても、それが指し示すものは異なる。難しい問題だ。物語の進行役として、書き手(オルハン氏)が時折顔を出す。一筋縄ではいかない感が半端ない。噂に違わぬ本。7
「雪〔新訳版〕(下)」(ハヤカワepi文庫)オルハン・パムク
「実のところ、ほとんどのドイツ人はトルコ人を軽蔑したりしていないんだ。ただ、私たちが彼らを見て、自己卑下しているだけなのさ」上p142
「もし他者を理解するということが、自分とは異なった人々の立場に自分を置き換えてみることだというのであれば、世界中の金持ちであるとか、支配者であるとかは、この世の底辺に生きる何百万もの貧乏人のことを理解できるということになりはすまいか」下p76
「少女たちはどうして自殺したのかあれこれまくしたてる男の人たちの言葉にはもううんざりよ」下p346 7/10