見出し画像

四合わせトランプ

Junsan（ジュンサン）

2024年3月23日 15:42

§幸せ
その夜、ミツルが帰宅すると知らない人物が椅子に座ってくつろいでいた。取り立て屋だった。
しばらく前に、ミツルは違法な賭けポーカーで大きく負けたのだ。借金を抱えたまま、連絡を絶ち、遠く離れたこの土地へ逃げてきた。
「払えないんだ」とミツルは言った。「驚かないと思うけど」
取り立て屋はため息をついた。「仕事をしてもらうよ。詐欺の手伝い、身代わり出頭、闇取引、麻薬製造…」
ミツルもため息をついた。「殺されるよりはましかな」

「ところで、あそこにあるあれ」底知れない風情の取り立て屋はタンスの上に置いてある酒瓶を指した。「ここの地酒だね。一杯もらえるかな」
ミツルは立場をわきまえて、グラスをひとつ用意した。
酒瓶のとなりには写真が飾ってあった。
ミツルと女性、そして女児が並んで写っていた。
「幸せそうだ」と取り立て屋は写真を見て言った。
「幸せだった」とミツルは言った。
「ふうん」取り立て屋は訊いた。「いまは不幸せなのか」

「訊くまでもないだろう」ミツルはゆっくりとグラスに酒を注いだ。「不幸のどん底だよ」
「ふうん」取り立て屋は言った。「一時期、大勝ちしてたらしいね。噂に聞いたよ」
「ほんの一時期ね」
「そのときは幸せだったろう」
取り立て屋はそう言ってから、酒の最初の一口を味わった。
「うまい」と取り立て屋は言った。
「幸せというのは」とミツルは遠慮がちに言った。「人生そのものへの満足感だ。束の間の快楽とはちがう」

「そうかなぁ」取り立て屋は首をひねった。「幸せは、ほとんど快楽のことだろう。恋愛がほとんど性欲のことであるように」
まいったな、とミツルは思った。取り立て屋を相手に持論を通したくなるなんて。「自分は、正しいリストを満たした一定の状態のことを『幸せ』と呼びたいんだよ」
取り立て屋はグラスを軽く揺らしながら「正しいリスト」と呟いた。
それから揺らすのを止め、ミツルを見つめて言った。
「きみも飲めよ」

§四合わせ
ミツルは自分のグラスを出して酒を注いだ。
「正しいリスト」取り立て屋は訊いた。「なんだい、それは」
「昔からあるんだよ」とミツルは言った。「中国から西アジアを経て、十四世紀の南ヨーロッパで確定したリストがね」
ミツルは酒を一口飲んでから、棚の引き出しを開けてなにかを取り出した。
トランプの札だった。

「あるときたまたま、トランプからリストを見出したんだ」とミツルは言った。「♥♠♦♣の４つの記号は、時代や地域によって何と呼ばれようと、もともとは『聖杯、刀剣、貨幣、棍棒』だった」
「ふうん」取り立て屋は言った。「冒険ゲームみたいだな。僧侶、戦士、商人、勇者のアイテムだ。パーティを組んで旅に出てモンスターと戦う。魔王を倒す」
ミツルは取り立て屋の感想には取り合わずに言った。「自分が思うに、♥は愛情、♠は権利、♦は金銭、♣は健康をあらわしている」

「愛情、権利、財貨、健康。なるほどね。わからなくもない。人間の自然な欲求だ」取り立て屋はうなずいた。「続けてくれ」ミツルはすこし嬉しくなり、話を続けた。
「つまり、この４つの欲求がそろう『四合わせ』な状態こそ幸せにふさわしい――というのが自分の幸福論なんだ。
たとえば、

『愛情♥をわかちあえるつれあいがいて、自由にどこにでも行ける権利♠を持ち、仕事でじゅうぶんな金銭♦を得ていて、持病はなく健康♣』という人がいるとしよう。
そのような状態の人は、客観的に言って、幸福だと思う」
「まあ、そうだな」取り立て屋は認めた。「ゲームの結末で、主人公の状況がそうなってたら、それは幸福な結末だろうな」

ミツルはたとえ話を続けた。
「ある人は『若くて元気な歌手で♣多くのファンにしたわれて♥稼いでいる♦』。だけど、恩や義理のしがらみがあって『水着姿になる仕事を断る権利♠』を使うことができない」ミツルは取り立て屋に問いかけた。「そのとき、この人は幸せだろうか」
「不幸を感じてもおかしくないな」取り立て屋は答えた。「しかも、そのせいで元気を無くし、ファンも稼ぎも失うかもしれない」
「そう、結びついてる。4枚すべてが必要なんだよ」ミツルは言った。「札を手に入れたら、ひとつでも手放しちゃだめなんだ」

§幸せの欠点
「ふうん」取り立て屋は酒を飲み干した。空になったグラスを床に置いてからミツルに訊いた。「それで、きみはなぜ集めた札を手放したのかな」
「それは……」ミツルは口ごもった。
「きみは妻子に大切に思われていた。人権は国に保障されてきた。給料も悪くなかった。風邪もまずひかない」取り立て屋は四本の指を一つずつ立てながら言った。「愛情、権利、一、、健康。リストは満たされていた。幸せだった。それなのに、なぜ」
「まいったな」ミツルは自分を慰めるように苦笑した。
「十分じゃなかったんだ。すべて『Ａ』の札で欲しかったから」

取り立て屋は笑った。「強欲な人間は『四合わせ』では足りないか……権力者にもときどきいるね。すべてを完全に手にしないと満足できない飢えた獣が。手に入れても、こんどは失うことが心配でよく眠れない。結局のところ、幸せになれない」
「そう」ミツルは認めた。「王や女王は、幸せに見えない」
「その逆もある。聖人だ。他人に不幸がある限り、やましさか何かを感じて自分も幸せになれない」
「たしかに、そういう心優しい人もいるね」
「それと、もうひとつ。王であれ家来であれ、だれにでも共通することがある」
「……ああ。そうだね」
ミツルは感心を通り越し、畏怖に近いものを取り立て屋に感じた。

「『幸福の唯一の欠点は、それに終りがあること』」と取り立て屋は言った。「どこかで耳にしたフレーズだ」
「いつかは、だれもがカードを失う……」とミツルは言った。
「まさに。だからリストを埋めたって無駄だ――とまでは言わないけど、、きみの『四合わせ』説にはいくつかほころびがあるようだね」
「……ところが、五枚目の札があるんだ。すべてを救う札が」
ミツルの言葉に、取り立て屋は驚いた様子を見せた。

「この札だけは、十九世紀のアメリカ生まれなんだ」
ミツルに渡された札を見て、取り立て屋は眉をひそめた。
「おめでたいやつだな、この見た目は。幸せそのもの……いや、もはや幸も不幸もどうでもいいのかもしれない」

「ジョーカー。どのカードの代わりにもなり、すべてに勝る自由札」とミツルは言った。「自分こそが王だと錯覚できる狂気……いつまでも覚めない酔っぱらい。幸せだ」
「いいのか、それで」取り立て屋は問いただした。「『リストを満たすより、酔っぱらったほうが幸せだ』というのか。それなら、俺と意見は同じだ。やっぱり幸せは、快楽のことだ」
「そうなるのかな」ミツルもグラスを空にした。「でも、切り札は最後までとっておきたい」
それからすぐに、恥ずかしそうに呟いた。「あ。今がそのときか」

ミツルは、再び酒瓶に手を伸ばした。だが、取り立て屋が制した。「よせよ。きみはジョーカーにはなれない。せいぜい二日酔いになるだけだ」
取り立て屋は呆れた様子で札を投げ捨てた。
「快楽とは言ったが、何事もほどよいところで満足するべきだ」と取り立て屋は言った。「賭け事、借金、酒。正しいリストを満たすことだってそうだ。欲張るやつは、いかさま師になるほかない。自分さえも騙したあげく、痛い目にあうにきまってる」
これまでになく強い口調とおそろしいほどの正論に、ミツルはたじろぐほかなかった。

それからしばらくの間、二人は黙ってトランプ札の山を見つめた。
今後の人生では、ひたぶるに不幸の道を歩もう――とミツルが覚悟を決めたころあいに、取り立て屋が口を開いた。
「きみの話は、酒のつまみとしてよかったよ」
ミツルは返事に困った。
取り立て屋はほほえんだ。「さて。仕事の話に戻ろう」

§仕事
結局のところ、ミツルは詐欺の手伝いも、身代わり出頭も、闇取引も、麻薬製造も、しないで済んだ。
そのかわり、おおむね人を幸せにする仕事をすることになった。
清掃と警備のアルバイトのほかに、足の悪いお年寄りの外出を手伝い、親のいない子に勉強を教え、災害にあった人に食事をふるまい、病人のためにときどき献血をしている。
ほかにも無償でいろいろと。

§仕事
結局のところ、ミツルは詐欺の手伝いも、身代わり出頭も、闇取引も、麻薬製造も、しないで済んだ。
そのかわり、おおむね人を幸せにする仕事をすることになった。
清掃と警備のアルバイトのほかに、足の悪いお年寄りの外出を手伝い、親のいない子に勉強を教え、災害にあった人に食事をふるまい、病人のためにときどき献血をしている。
ほかにも無償でいろいろと。

一方、ミツルはいまどんな気分だろう。
配られたのが「不幸中の幸い」という札だったことに感謝して、またよけいな欲をかかなければよいのだけれど。　『四合わせトランプ』終　ジュンサン — 2024.3.23
Junsan

この記事が参加している募集

#仕事について話そう

115,345件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか？