デジタル・シティズンシップ教育政策の新たな動向
はじめに
2022年7月10日、日本教育政策学会第29回大会で発表をしました。昨年度は「教育政策研究におけるデジタル・シティズンシップ概念の可能性」というテーマで発表しましたが、今年度は「教育政策としての デジタル・シティズンシップの可能性」です。二つのタイトルは似てますが、昨年度はまだ概念の可能性に過ぎませんでした。今年度のタイトルは実現に一歩近づいたことを示しています。
もうすぐ出版される『教育政策学会年報第29号』に「教育政策としてのデジタル・シティズンシップの可能性」と題した論考が掲載されます。今回の報告の内容は一部この論考と重なりますが、主としてこの論考を執筆した1月以降に起こった教育政策上の変化を扱っています。
本日のアジェンダを簡単に紹介します。まず総務省のICTリテラシー政策の転換について紹介し、次に内閣府総合科学技術・イノベーション会議教育・人材育成ワーキンググループの政策、そしてごく最近の中教審・文科省・自治体の情報教育政策の動向を紹介します。最後にデジタル・シティズンシップ教育とGIGAスクール構想についてごく簡単に私見を述べたいと思います。
総務省のICTリテラシー政策の転換
総務省(旧郵政省)が2000年に作った「メディアリテラシー」の定義はその後の日本のメディアリテラシーの標準となりました。いまでもGoogleでメディアリテラシーという言葉を検索すると最初に出てくるのがこの時の定義です。
その内容は教育工学や視聴覚教育の影響を受けた定義と当時専門家会議の委員だった鈴木みどり先生によるイギリスやカナダの研究成果を融合させたものでした。
2008年に発表されたICTメディアリテラシーの定義は欧米のメディアリテラシー理論の影響を見ることはできず、完全に教育工学寄りの定義となりました。
それから16年が経ち、今年新たな定義が発表されました。それがメディア情報リテラシーです。
総務省の「メディア情報リテラシー」概念は2つの政策文書に登場しています。まず一つ目は5月15日に発表された「2030年頃を見据えた情報通信政策の在り方~報告案」です。発表されたのち、パブリックコメントが募集され、それも終了しましたので、近々正式版になると思います。この報告書の第3章「情報通信政策の提言」第8節「人的基盤の強化と利活用の促進」に「メディア情報リテラシーの向上(デジタル・シティズンシップ)」という項目があり、次のように書かれています。
「今後は、自律的なデジタルの利活用を通じて様々な相手とコミュニケーションを行い、多様な社会活動に参画し、よりよいデジタル社会の形成に寄与する『デジタル・シティズンシップ』を育むための教育を行うことが必要となる。」
そしてデジタル・シティズンシップについては以下のような定義が書かれています。「デジタル技術の利用を通じて、社会に積極的に関与し、参加する能力を指すものであり、コンテンツの作成や公開、他者との交流、学習、研究、ゲーム等のあらゆるデジタル関連の活動を行う能力に加え、オンライン消費者意識、オンライン情報とその情報源の批判的評価、インターネットのプライバシーとセキュリティの問題に関する知識など幅広いリテラシーを含む概念であり、具体的には『ネットいじめ』や『ヘイトスピーチ』への対応やオンラインニュースとどう付き合うべきかといった身近な内容を含むものである。」
この定義は欧州評議会によるデジタル・シティズンシップの定義とほぼ同じものです。
総務省は6月17日に「インターネットとの向き合い方~ニセ・誤情報に騙されないために~」を発表しました。この発表はニセ・誤情報を見分けるための教材がメインですが、付属資料として「メディア情報リテラシー向上施策の現状と課題等に関する調査結果報告」が添付されています。この報告の大部分は世界中の国や組織の偽情報対策教育政策を調査してまとめたものです。その結果、これまで総務省が使っていたICTリテラシーという用語に代えてメディア情報リテラシーが採用されました。この用語はユネスコの概念であることが明記されています。
その上でメディア情報リテラシーを「市民がメディアやその他からの情報に効果的に関わり、批判的思考や、社会に参加するための生涯学習のスキルを向上させ、能動的な市民になるために不可欠な能力」と定義しています。総務省がユネスコの概念を採用したのは初めてのことだと思います。
また、デジタル・シティズンシップについては「情報を効果的に見つけ、アクセスし、利用、創造する能力であり、他の利用者ととともに積極的、批判的、センシティブかつ倫理的な方法でコンテンツに取り組む方法であり、そして自分の権利を意識しつつ、オンラインおよび ICT 環境に安全かつ責任を持って航行する能力」だと定義されています。この定義はユネスコの定義と同じものです。
さらに次のように書かれています。
「我が国でも、この考え方を踏まえて、情報を効率的に収集・作成するため情報端末等の様々なデジタルツールを自らの判断で使いこなして、学び、創造し、社会に参加できるようになる必要がある。」
このように、もはや教育工学の影響は見られず、 ユネスコおよび欧米のメディアリテラシーやデジタル・シティズンシップ教育理論の影響を受けていることがわかります。
内閣府の政策
次に内閣府の動向を紹介します。内閣府総合科学技術・イノベーション会議教育・人材育成ワーキンググループは6月2日に正式版の「Society5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ」を発表しました。第1章「社会構造と子供たちを取り巻く環境の変化」第2節「デジタル社会における子供たちを取り巻く環境」には「学校教育において、メディアリテラシーを育むなかで論理や事実を吟味しながら理解し、子供たちの『デジタル・シティズンシップ』を育成することは喫緊の課題となっている」と書かれています。昨年12月の中間報告と比較すると、メディアリテラシーに関する記述が追加されていることがわかります。そして政策1のイメージの真ん中に「『デジタル・シティズンシップ』が子供たちに備わっていることが大前提」と書かれています。そしてロードマップの中には「デジタル・シティズンシップ教育推進のためのカリキュラム等の開発」を挙げ、主要担当省として文科省、補助的担当省として経産省が挙げられています。
実際の文書の中身をご覧いただきたいと思います。これは政策1「子供の特性を重視した学びの時間と空間の多様化」政策を示したイメージですが、循環の輪の真ん中に「デジタル・シティズンシップ」が描かれてかれており、とても目立つことがわかります。
そしてこれが政策1の実現の体制です。デジタル・シティズンシップのカリキュラム開発について書かれており、担当省庁として文科省に星印がついています。下に別のページのロードマップの一部を載せましたが、ここには2022年度から2027年度までの年度ごとのロードマップが用意されています。
ちなみに2月9日付の日本教育新聞は、ワーキンググループの中の中教審委員などが意見交換を行ったと報じられており、今後、中教審の議論に影響を与える可能性が高いと思われます。
中教審・文科省・自治体の政策
7月1日付の教育新聞で中教審生涯学習分科会の様子が報じられています。次の1行に注目してください。「社会教育においても、こうしたICTスキルやデジタル・シティズンシップ教育に関する取り組みを強化していく方向性が示された」と書かれています。内閣府や総務省の動向が影響を与えた可能性が高いと思われます。
次に文科省学校教育情報化推進専門会議の状況を説明します。4月21日に学校教育情報化推進計画案が公表され、その後パブリックコメントを募集しました。この計画案を見ると、ICTの活用や情報活用能力に偏重した推進計画になっています。冒頭でWell-beingの具現化が大事だと書いてありますが、計画にはその要素がどのように反映されているのか判然としません。
「情報モラル」については、「児童生徒が情報に対する責任ある考えや行動をしようとする態度などを身に付け、安全・安心に情報を利活用していくことができるよう、情報モラルに関する指導を進める」と書かれています。しかし、デジタル・シティズンシップについては一切記述がありません。
第二回会議で内閣府の「Society5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ」概要が配布されていますが、デジタル・シティズンシップに関する記述が十分とはいえません。
これが文科省学校教育情報化推進専門会議で配布された「Society5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ」概要の中の政策1のイメージです。下に小さくデジタル・シティズンシップという言葉が書かれているのがわかります。会議の議事録も調べてみましたが、デジタル・シティズンシップという言葉は一度も登場していません。つまり計画作成にあたって、十分な議論がされていない可能性があります。
これまでの動向の概要をまとめておきます。総務省、内閣府、中教審生涯学習分科会におけるデジタル・シティズンシップ教育政策は推進に向けて進められていると言っていいでしょう。
しかし、文科省の学校教育分野では、デジタル・シティズンシップ教育に対しては推進に向けているとはまだ言えない状況です。
一方、一部の自治体では、独自に推進の方向に向かっています。
民間教育運動としては、私が知る限りですが、すでに第二ステージ段階にあり、学校現場の教職員による自発的な実践研究活動が急速に拡大しています。例えば、最近、私が所属するデジタル・シティズンシップ教育研究会で実践報告と意見交換を行うオンラインゼミを始めたところ、あっという間に100人の参加枠が埋まってしまい、やむを得ずZoomから300人以上配信可能なYouTube配信に切り替えざるを得なくなったほどです。ちなみに参加者の多くは学校の教職員です。
次に吹田市の事例を簡単に紹介します。吹田市はもっとも早い時期にデジタル・シティズンシップ教育を政策に位置付けた自治体ですが、6月4日にニューエデュケーションエキスポ「デジタル・シティズンシップ教育の最前線」で吹田市教育センター長の草場敦子さんが吹田市の事情を報告しました。ここにその時のプレゼン資料の一部を紹介します。
吹田市は2000年代初めに深刻ないじめ事件が起きました。もともと吹田市は人権教育に力を入れていることもあり、いじめ予防のためのソーシャルスキル教育プロジェクトであるGRE・ENスクールプロジェクトを始めました。その基本原則がHIRO行動と呼ばれるものです。つまり、助けを求める・助ける、共感する、尊重する、心を開き受け入れるというものです。
デジタル・シティズンシップ教材を見たことのある人はわかると思いますが、これはデジタル・シティズンシップ教育の一部であるアップスタンダー教育にとてもよく似ています。こうして、吹田市はGIGAスクール構想の導入とともに自然にデジタル・シティズンシップ教育を政策に取り入れました。草場さんによると、GIGAスクール構想も人権教育の立場から、すべての子どもが端末を学習用道具として使用できることを目標にしたとのことです。
吹田市のデジタル・シティズンシップ教育については、東洋経済の記事「『デジタル・シティズンシップ教育』で起きた変化」も参考にしてください。
デジタル・シティズンシップとGIGAスクール
デジタル・シティズンシップ教育への批判事例として大阪教育文化センターが2021年に発行したブックレット『「GIGAスクール構想」光と影、教育の展望』があります。
批判点の一つは、「日本版デジタル・シティズンシップ」は「危険性を放置して自己責任に委ねる」ものというものです。興味深いことに、この批判は情報モラル教育を推進する立場と基本的な考え方が同じです。日本で使われているデジタル・シティズンシップ教育の多くはアメリカのNPOコモンセンス・エデュケーションの教材をモデルにしたものです。そのカリキュラムや教材、背景となる理論を検討する必要があるでしょう。しかし、そのような検討はされていないようです。
また、欧州評議会は2018年の閣僚委員会採択で「デジタルリテラシーを、デジタルシティズンシップ教育の上位の概念として扱い、公教育における基礎教育カリキュラムに含めることを求めて」いると書かれていますが、欧州評議会は翌年の2019年の閣僚委員会で「デジタル・シティズンシップ教育の発展と推進に関する加盟国への閣僚委員会の勧告」採択し、この年に「デジタル・シティズンシップ教育ハンドブック」を公開しています。そしてユネスコのメディア情報リテラシーのコンセプトを導入したことにより、デジタルリテラシーはデジタル・シティズンシップの一部として整理されました。(Digital CItizenship Education Handbook,2022,p.44)
ちなみに欧州委員会はデジタル・コンピテンスという概念を用いていますが、欧州評議会と対立しているわけではなく、相互に参照しあっています。このように、そもそもどちらが上位概念かを問うことにさほどの意味があるとはいえません。
2021年に発表された国連子どもの人権委員会「デジタル環境に関連する子どもの権利に関する一般意見第25号」には次のように書かれています。「デジタル環境は、フォーマル、ノンフォーマル、インフォーマル、ピアツーピア、自己学習用の信頼できるリソースを含む、質の高いインクルーシブ教育への子どもたちのアクセスを大いに可能にし、強化することができる。また、デジタル技術の利用は、教師と生徒、学習者同士の関わりを強めることができる。子どもたちは、教育へのアクセスを改善し、学習や課外活動への参加を支援する上で、デジタル技術が重要であることを強調した。」
この一般意見は世界中の子どもたちの意見をまとめて作られたものです。下線の部分はまさに子どもの意見だといえるでしょう。
それを受けて「締約国は、学校およびその他の学習環境における技術的インフラに公平に投資し、十分な数のコンピュータ、高品質で高速なブロードバンド、安定した電力源を入手しやすくし、デジタル教育技術の使用に関する教員研修、アクセス性、学校技術の適時メンテナンスを確保する必要がある」と書かれています。学校にインターネット回線と十分な数のコンピュータを導入することは子どもの権利に属することだということです。
また、この一般意見は、GIGAスクール構想についても子どもたちの意見に耳を傾けることの大切さを教えてくれるように思います。
コンピュータを数多く入れても生徒の成績は向上しないというエビデンスとして使われることの多いOECDの2015年の調査報告書ですが、結論部分が紹介されることがあまりないので、触れておきたいと思います。下の文章がこの報告書の最後の文章になります。
「全体として、PISAやより厳密に設計された評価から得られた証拠は、家庭でも学校でも、生徒のコンピュータへのアクセスを増やすだけでは、教育成果の大幅な改善にはつながらないことを示唆している。さらに、PISAのデータと研究結果の両方が、コンピュータの使用によるプラスの効果は、特定の成果やコンピュータの特定の使用方法に限定されるという点で一致している。」
つまり、コンピュータは導入すればいいのではなく、それに伴う教育方法の改革が必要だいうことです。この点については世界的にも専門家の間では共有されている知見だと思います。そして上の一文はその改革の方向を示唆していると思います。「コンピュータは、学習時間や練習を延長するために使用された場合、生徒が学習状況をコントロールできるようにするために使用された場合、そして共同学習をサポートするために使用された場合に、特に効果的であった。」
GIGAスクール構想に関して言えば、今はすでにGIGAスクール構想下の教育方法の改革を問わなければならない段階だと言えるでしょう。
(補足)この結論は、午後に開催された課題研究シンポジウム登壇者の佐藤学先生の結論と同じでした。また、指定討論者の奥山将光(北海道大空高校)先生が質疑応答の中でデジタル・シティズンシップの重要性に触れられたことも付記しておきます。