ラップとは
ラップとは、現代の言葉遊びである
平安なら和歌であり、近代なら俳句・川柳であり
ラッパーとは現代の山頭火であり、碧梧桐である。
海外なら杜甫やシェイクスピアである。超適当、ほんとは誰でもいい。ここでは、ラップとは言葉遊びであり文学だという事を、取り敢えず覚えて帰ってもらいたい。悪口を言い合うバトルとか、金のネックレス着けて大麻で逮捕される人たちとか、政治がヒップホップかどうかを言い争う人たち(およびHip Hopそのもの)に関しては取り敢えず忘れて欲しい。あくまでラップの話だ。
言葉遊びが好きだ。文字数や季語の制限も好きだし、枕詞などのお約束を守るのも、裏切るのも好きだ。あいうえお作文やいろはにほへと的な謎解きも好きだ。だから、ラップも好きだ。これは、もはや俳句が馴染まなくなった現代人が自然と見つけた言葉遊びだから。
この忙しい現代において、一句読む余裕は無い。全く無い。今でもたくさんの俳人がいる事に尊敬はするが、お前がやれと言われたらできない。情報過多の現代において、かつてのような「教養」を前提とした遊戯の普及はもはや不可能。人々に伝わらないのでは、遊びとしては面白く無い。一部教養人の嗜みでは、時代は作れない。
ー韻を踏むー
この「教養の無い時代」に世の中に伝わる言葉遊びは少ない。僅かに残り、しかしそれだからこそ絶対的な魅力を持つもの、それが言葉の持つ「音」であり、「押韻」である。はるか太古の漢詩から普及し続け、言語を問わず遊ばれるこの「韻を踏む」という行為は、限りなく平易でありながら、本能的に魅力的だ。だから、「不良の音楽」で育った刺青だらけのラッパー達であってもきちんと韻を踏む。彼らが守るルールは、そのくらいだ。銃をぶっ放そうが、違法薬物を吸おうが、韻を踏む事は守る。
例えば世界有数のRhymer(韻踏むラッパー)として有名なのはあの Eminem。代表曲にして「狂ったほど踏んでいる」と話題になった Lose yourself。
His palms are sweaty, knees weak, arms are heavy
There's vomit on his sweater already, mom's spaghetti
He's nervous, but on the surface he looks calm and ready to drop bombs,
But he keeps on forgetting
、、、(ホラー映像風に)お気づきだろうか?「ステージの上で緊張しまくってもうやばい」というだけの歌詞の中に、彼は既にこれだけ韻を踏んでいるのだ
–Palms are sweaty
–arms are heavy
–already
–mom’s spaghetti
–calm and ready
–on forgetting
ちなみに本当はもっと細かく韻があり、Sweaty, sweater, spaghettiなど、Sの音で頭を合わせる頭韻の技法などもあるが、取り敢えずそれは置いておいて。文章を作りながらも、小節の同じところで必ず韻を踏み、しかもそれがAlready, readyの様な文字面もわかりやすいものでなく、sweatyとspaghettiとforgettingが「同じ韻に聴こえる様に発音する」技法も含めて、恐れ入る完成度。Eminemはかつて「絶対に韻が存在しない」と言われたOrangeについても見事に答えを出し、世間にその能力を認めさせて話題となった。
とにかく、「表現したい事を、韻を踏みながら、音楽に合わせながら言葉にする」という、実は五七五よりも多い束縛の中でやってのける、現代の詩人達、それがラッパーだ。ただ頭にバンダナ巻いてるアホな人では無いのである(僕から見てもあれはダサい)。面白いのが、米国の英語ラップに影響を受けた各文化、各言語の人々が、自分たちに合わせた表現や音楽を作っていく様。既に世の中のラップは判別仕切れない程のバリエーションがあり(ざっと英語だけでもこんなにある)、各文化に浸透している(ラップ=Hip Hopではない前提)。
ー日本語での押韻、その究極ー
その中でもかつて、日本語は「ラップに向かない言語」と言われてきた。全ての文字に母音をはっきりと発音する事や、接続詞、助詞が無いと意味が伝わり辛い事などが原因だったが、日本人ラッパー達の長い努力によって独自のスタイルを確立し、その偏見を払拭してきた。中でも、日本語で押韻の天才と言えば、1にも2にもこの人である。
KICK THE CAN CREWのLITTLEは、ラップを知れば知るほど驚嘆する韻の変態(褒め言葉)である。この曲「住所」の韻解説は、韻ノートの細川さんが完璧にやり尽くしたので、別の曲を。彼は全ての曲で素晴らしい押韻をするが、その中でも日本語史上最高の韻と呼べるのが「彼方」だ。
Youtubeに公式が無いので曲はこちらで購入してください。最初から最後まで、文字通り「韻を踏んでいない所がない」という気持ち悪い(褒め言葉)曲だが、圧巻はその中盤、第2バースに出てくるこちら。
ただただ ワガママ あらわなハダカは 華やかさか はたまた儚さか あからさまな あさはかさが 若さなら やっぱ輝かなきゃ
、、、お気づきだろうか?(2度目)ピンとこない人は取り敢えず声に出してみて欲しい。あなたの口がかつて無い動きをしている事に、驚くだろう。これだけの長い言葉の全てが「あ行」で構成されている。のに!!一定のメッセージを持った文章として成立しているのだ!!因みに僕はかつて「い行」で挑戦を試みたが一瞬で挫折した。考えるのも辛い苦行だ。
ー言葉の遊びかたは様々ー
ラップの面白さを語りだせばキリがないが、最後に幾つか「遊んでる」歌詞を紹介。もう一度言うが、ラップは太古から世界中の人々がしてきた「言葉遊び」の現代版である。みんなで遊べば良いのだ。
連れてかれた位置に三途の川
誰も死後ろくな名前とかもらわず
影の過激派 地球自由におびやかし中 死亡数 10
キングギドラの「大掃除」より。キングギドラ、特にその一人K DUB SHINEは日本語でのラップ手法を最初に確立した人と呼んで差し支えない。上の言葉遊びに気づかない人はやはり音読してみよう。1つずつ増えていく何かに気づく。
チンニングは自重 プラスぶら下げるウェイト20
デッドリフト、ベントオーバーロウ、シュラッグ、プーリー、Tバーロウ
今度は正真正銘、何を言っているのかわからない。。。筋肉ムキムキで有名なyoung hustleが、同じく筋肉仲間のラッパー2人と共に作ったのが「Workout (remix) feat 般若、SHINGO☆西成」。ひたすら筋トレメニューやサプリの話をしまくる曲だ。これは言葉遊びでなく、本当の遊び!しかしこれらの用語をうまく音に合わせたり韻を踏む様はやはり面白い。ラブソングばかりのpopsに対して、トピックが様々なのもラップソングの面白さだ。
感じる 向こうから眼差し
そこは、 長野山梨
すぐに行く 会いに行くのさ
福井岐阜 愛知静岡
まともなラブソングをラップしない事で有名なKrevaは、言葉遊びのプロフェッショナル。「くればいいのに」「神の領域」など自分賛歌が多い中、誰にでも分かりやすい言葉遊びの曲として書いたのがこの「47都道府県ラップ」。ちょっとco慶応ぽい。
ーエンターテイメントに終わらない表現ー
最後は世界的にラッパーが宿命づけられている「社会風刺」「問題提起」。これはかつて、そして今も文学や詩の大事な役割でもある。川柳の「たった四杯で夜も眠れず」よろしく、権力に噛み付くのは、プロモーションであると同時に文化的な役割でもある。
あの消えたビル見て 煮えたぎった あの国を世界も見限った
平和的手段講じてもみず よくぞ言い放った ストップ テロリズム
焼け跡にたつ○○○に○○○○○○○
今ならついてくる大義名分
ライムスター「911エブリデイ」より。911後の米国が証拠無しにイラク侵攻を行った事への強烈な批判と「平和への祈りは3時台のワイドショー見て完了で」とあくまで傍観者でいる人々への意識改善を煽る、日本では珍しい直接的な政治曲。規制の入った○部分に何が入るかは、その後の言葉の韻を考える事で見えてくる。
ハウマッチ?人の命の価値? 気持ちは確かに等しく同じ
だが飢えて死んだ子の体重
よりもずっとズッシリと重たい銃
そいつは高値を更新中
そして世界を土足で行進中
強烈なメッセージを放ちながらもこの歌詞はこれでもかとキーワードで韻を踏みまくる。曲をぼーっと聴き流すだけでは、気持ちの良いラップの響きに聴き惚れるが、聴けば聴くほどメッセージの重さを痛感する一曲。
ラップは言葉遊びであり文学だ。全てがそうだとは言わないが、それなしにラップは語れない。商業主義的に生きるしかなくなった大衆音楽から一線を引き、言葉で世の中と向き合い続けるラッパー達の言葉にこれからも注目して欲しい。ただ上記の例が須らくベテラン勢であるのも分かる通り、若いラッパーの中では直接的な意味以上の表現をする者は稀だ。それが、瞬間消費社会の支配する現代らしい、と言えばらしい。
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