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【瞑想】私が瞑想をすすめる理由

瞑想は、何をしているのだろう?

瞑想とは、自分自身のことを見つめる作業です。自分自身と親しみ、自分の体、心、精神がどうなっているかを明確に観察できる力を養うものです。

「言われなくても、自分のことはよくわかってる!」という人もいるかもしれません。「自分は、こういう人だと説明がつくのだから。」というかもしれません。
しかし、仏教(私が学んでいるのはチベット仏教)では、自分を固定化するその思考や固定観念こそが、自分を観察することを妨げていると考えます。特に、毎日を忙しく過ごしている人は、スピーディに物事を解決しているし、たくさん考えて良いソリューションを出して、クリエイティブに物事を進めていると思うでしょう。

しかし、少し立ち止まってみてください。頭の中で皆さんが繰り広げている思考は、落ち着いた状態で明確に熟考している思考なのか、瞬間的に思いついては消えていく散漫なただの雑念なのか、どちらなのかを見極めてみましょう。

呼吸に意識を置き続けられるか、試してみよう!

散漫な雑念なのか、集中した思考なのか、どちらなのかを見極めるには、10分間姿勢を正して、呼吸に意識を静かに向けてみるとわかります。ひとところ(この場合、呼吸)に意識を起き続けることができるか、それともぐるぐると雑念が止まることなくあちこちに行ったり来たりしているのか、確かめてみてください。

ひとところに意識を静か置くこと、または置かれている状態を”シャマタ”と言います。つまり、落ち着きのことです。平静さを伴った集中力ともいえるでしょう。
たった10分という短い時間でさえ静かに座れない人は、お世辞にも集中力があるとは言えません。ビジネスマンがマインドフルネス瞑想の指導者養成講座を受講し、瞑想を教えているケースも見受けられますが、その人でさえ10分間静かに座れないということもあります。また、ヨガを日課にしている人でさえも、この落ち着きを養えている人は少ないと感じることがあります。

ちなみに、私たちのサンガは、瞑想の練習を始めた頃から、週に5回、20分間継続して座るように言われました。10分の2倍です。皆さん、座れますか?
私は、毎日20分からスタートして、今はもっと長く座っています。さらに、コンパッションの瞑想も取り入れています。
さらに、私たちが練習しているマインドフルネス瞑想は、シャマタ・ヴィパッサナ瞑想ですので、厳密には意識をひとところに置くことだけでなく、自分と、自分の心と、周りの世界に気づいていく力を養うところまで訓練します。その意味で、巷で説明されている、”集中力を高める”ためのマインドフルネス瞑想よりも、もっと高度なところまで網羅しているかと思います。

瞑想を日常に取り入れることの意味

マインドフルネス瞑想を10分間やってみたら、どうでしたか?
10分間静かに姿勢良く座れましたか?
呼吸に意識を置き続けられましたか?
イライラしてきませんでしたか?
眠くなって眠ってしまいましたか?

意識が呼吸から離れたり、散漫な雑念がどんどん出てきてしまうという人がほとんどだと思いますが、それが「今」起きている現実です。
シャマタなしで、動いたり、忙しくしたり、他のことに意識を向けることは、気を紛らわせて現実を見ていないことと同じです。心や精神の状態の現実は、静かになった時に表面化します。

私たちの散漫な雑念は、熟考したり、本気で思考したり、きちんとした集中力を養うことを妨げます。さらに、散漫な雑念にぐるぐると取り巻かれた私たちの心や脳は不透明な状態にあり、物事を明確に観ることさえできなくなっています。それが故に、心が悩んだり、落ち込んだり、イライラしたりするのです。明確にまっすぐ物事を捉えられないから、そのせいで人間関係もおかしなことになっていくのです。

瞑想は、心の曇り眼鏡をコツコツと磨いていく作業です。きれいにお掃除された眼鏡で見る景色は、きっと現在見えている景色とは違うでしょう。
この先の未来のために、心の眼鏡磨きを一緒にやっていきませんか。いつでもJunostyleのドアを叩いてください。


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