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あの日、八百屋のトラックから流れてきた歌から全ては始まった。
その日、自宅の近くに八百屋さんのトラックが停まっていた。姉とどこかへ行った帰り、眼下の町は夕焼けで真っ赤に染まっていた。
小学3年生だったと思う。
何故、覚えているのかと言うと、あの景色が見えた丘の上の家には、小学3年生の一年間しか住んでいなかったからだ。
突然、そのトラックのラジオから、悲しげなハーモニカの曲が爆音で流れてきた。
悲しいだけではなく、圧倒的に美しいメロディ。悲しみは時に美しいのだと初めて知った瞬間だった。
ハーモニカのイントロが終わると、聴いたこともない素敵な声が唄いだした。
雨がしとしと日曜日
僕はひとりで
きみの帰りを待っていた
なんて甘い声なんだ?
恋なんて全く知らない私に、自分の胸の切なさをこんなにも訴えてくる。
この人は、誰なんだ?
なんでそんなに私を切なくするんだ?
アタマがぐるぐるした。
「きみ」の帰りを待つことは悲しいことなのか、苦しいことなのか、9歳児は何故か徹底的に切ない気持ちになった。
壁に飾ったモナリザも
何故か今夜は
素敵な笑顔忘れてる
あまりのショックに身動きが取れない。
トラックの奥には、ちいさな公園。
ブランコもシーソーも私と一緒に曲を聴いているみたいに動かない。
まるで夕陽がこの切ないメロディを奏でているようだ。
世界中が、この曲で満たされている。
どんなに遠く離れていても
僕はあの子の心が欲しい
帰ってあげてください。
こんな素敵な声の持ち主を悲しませるなんて、あなたはひどいひと。
私は絶対、この男の人を悲しませません。
恋とは、立ち向かう決心なんだと自覚したのは、この時かもしれない。
知らんけど。
この曲が、生まれて初めて好きになった曲だったと思う。まだインターネットがなかった時代。レコードすら自分では買えなかった。
いや、その前に、
「恋愛の唄を好きになってしまった事実」を誰かに知られるのは恥ずかしかった。
この曲を覚えておこう。
誰にも知られず、宝物のように胸にしまっておこう。
と、決心したが、幸いにも謎はすんなり解けることになる。
半年後、父の転勤のため引っ越した新居のお隣に、みっつ年上のお姉さんが住んでいた。
お姉さんちに遊びに行くと、壁にどどん!と男のひとのポスターが貼ってあった。
か、かっこいい。
その人は、ザ・タイガースというバンドのヴォーカルで、ジュリーというらしい。お姉さんは、ザ・タイガースのレコードなら全部持っていると言う。
ヴォーカルというのは「唄う人」という意味だと言うこともおしえてくれた。
「レコード、かけるね」
と言って、お姉さんがレコードに針を落とす。流れてきたのは、あの切ないハーモニカのイントロだった。
きゃあ❤
これが運命と言わずに、何を運命と言おう。
タイトルは「モナリザの秘密」、
作詞は橋本淳さん、作曲はすぎやまこういちさん。
この偉大過ぎるおふたりのお名前を、10歳児はしっかり記憶した。
初めて買ったレコードはこの「モナリザの秘密」ではない。モナリザから2年後、ロンドンでレコーディングされた「Smile for me」という曲だった。
当時、ロンドンがどこにあるかも分からない。だけど、レコードジャケットに載っていた写真を覚えている。メンバーの背景に「Coca Cola」という電飾。あれは紛れもなくピカデリーサーカスだった。のちに住むことになるなんて考えもしていなかった。
曲を作ったのは、ザ・ビージーズ。
のちにサタデーナイトフィーバーのサントラを担当。メロディフェアという映画音楽も担当した人達だ。
正直、イギリスでレコーディングされた事実は、少しだけ小学生を悲しくさせた。ジュリーが遠くへいってしまう気がした。
最初から近くにいないけど。
ジュリーこと、沢田研二さんのことは半世紀過ぎた今も大好きだ。もう大好きなんて言葉は失礼なくらい崇拝している。
こんなにも長きに渡り、人々の心を虜にしてしまう沢田研二さんのお仕事ぶり。
これほどの覚悟で私も詞を書いているだろうか。
その瞬間瞬間は、命懸けで書く。
しかし、誰かの人生に大きく影響を及ぼすほどのものを書けているだろうか。沢田さんの目を見るたび、真摯に生きろと諭される気がする。
そういえば30年ほど前に、沢田さんの奥様、田中裕子さんに詞を書かせていただいたことがある。確か「純愛ノススメ」というアルバムだった。沢田さんがプロデュースをされるというので、お会いできるかとドキドキしてレコーディングに呼ばれるのを待っていた。
しかし、レコーディングは秘密のうちに終了。
いつか奇跡的にお会いできる日が来たら、書かせていただいた詞の感想をお聞きしてみたいと思う。
あ、大事なことを言い忘れていました。
今日、6月25日は、沢田研二さんのお誕生日です。
これが「Smile for me」のレコードジャケット。「Coca Cola」の写真が記憶ほど大きくない。笑
※サカモトダイジさんのイラストを使わせていただきました。
ありがとうございました💝