人生には時々、天使が現れる。ほんの一瞬、天使ではない顔をして。
その日は、ちょっと落ち込んでいた。
仕事がうまくいかなかった。
落ち込んでいても人生は続く。
おなかも空く。
お昼ご飯でも買おうと、近くのコンビニへ行った。
しかし、お目当てのフルーツサンドは無かった。しかたなくタマゴサンドにする。砂糖抜きのカフェオレも売り切れていた。
しおしおのぱあ、だ。
多分、ひどい顔をしていたと思う。しかし、
「ありがとうございます」
と、レジではいつものようにお礼を言った。それはもう、身体に馴染んだ癖のようなもの。フルーツサンドがなくなったのは、レジの青年のせいじゃない。今日はタマゴサンドの方が身体に良いという意味だ。
すると、一見、学生アルバイトふうな20代と思しき男性が、語り始めたではないか。
「ありがとうございます。今、お客様は、私に笑顔をくださいました。私はとても幸せな気持ちになりました。お客様の一日も、素晴らしい一日になりますように!」
この長文を一気に、流るる水の如く語ったのだった。
え、私、笑ってた?
聖書を読んでいるんじゃないかと思った。
目の前の海が、十戒の如く、パキーン!と広がり、方舟さえ現れそうな気分。
勿論、いろんな捉え方がある。
たとえば、
①彼は、どんな客にもこのセリフを言う。
ありがたいが、ひとりの接客に時間がかかるので、店長は注意すべきか悩んでいる。
かもしれないし、
②彼は、劇団員で、このセリフの練習をしている。ありがたいが、実は何百回も言い続けているので、大した意味はない。
かもしれない。
しかし、私は素直に受け止める。
私があまりにも落ち込んだ顔をしているので、励ましてくれたのではないか。
実は彼は天使で、一瞬だけ店員になり、私を励ましてくれたのではないか。明日行ったら、その青年どころかコンビニ自体、幻かもしれない。
人生には時々、天使が現れる。
ほんの一瞬、天使ではない姿をして。
いや、違う。
この世の全てのひとが天使なのかもと、思ったほうがいい。
電車やエレベーターで一緒に乗り合わせた人、信号待ちで隣りに待ちきれずにイライラと立っている人、今、小銭を道路に落としてしまった人、そんなもう二度と会わないかもしれない通りすがりのひとは、昨日の自分かもしれない。明日のあなたかもしれない。
そう思うと、丁寧に生きたいと思う。
できるだけ、笑顔でいたいと思う。
そういえば、先日、このnoteを通じて、30年ぶりに連絡をくださったかたがいる。30年前の打ち合わせで、私はいつも笑顔だったと伝えてくださった。
全く覚えていない。勿論、打ち合わせは覚えている。自分がいつも笑っていたとは。気分の浮き沈みが激しい私が笑顔でいたとは。
ありがたい。
だってそれは、楽しい打ち合わせにしてくださったそのかたのおかげだから。
コンビニという二度とお会いすることのないかた、そして、30年も前の私をきちんと覚えていてくれたかたから、優しい気持ちをいただいた。
気持ちに余裕を持ち、うまくいかない時こそ笑顔になろう!・・・と言い聞かせた日であった。
※大須絵里子さんのイラストを使わせていただきました。ありがとうございました。