海外への挑戦 ~サッカー文化とは?~
おはようございます。
最近は、寒くなってきて夜外での指導がだんだん厳しくなってきました。
年に数回、寒すぎて眠くなるという冬山だったらアウトな経験をグラウンドでしています。(笑)
近況報告ですが、無双Argentina C.F. が練習を再開し、トレーニングマッチを行いました!
パチパチパチ
7カ月、長かったあ・・
選手たちが笑顔でボールを蹴る姿をみると、これだけサッカーに飢えた年は無かったなと思います。(泣)
さて、今日は「サッカー文化の作り方」についてです。
文化とは、人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体、いわゆる「粋だね」、「それいいね」と自分たちが好きな物や自分たちのためになることを、時間をかけて改善を繰り返しながら磨いてきたものが、仕上がり、継承していったことを「文化」と呼んでいます。
つまり、サッカー文化を作ろう!と上からの勝手な想いで、下に指示するだけではいけないということです。
なぜアルゼンチンにサッカー文化が根付いたのか?
1900年代初頭アルゼンチンの各地にイタリア出身移民やスペイン出身移民の若者たちがフットボール・クラブを作ることの話し合いのために集まり、クラブを立ち上げていきました。
クラブは、いまでも市民クラブとして運営され、会長は4年おきに選挙で選ばれます。
つまり、オラが町のクラブを「こうしよう、ああしよう」と時間をかけて考え、議論し、作り上げていったものがフットボールクラブとして町に定着していきました。
なので町の人たちは、クラブのファンというよりも、家族に近い感じがします。息子の成績が悪くても、「勉強しろよ!」とは言うけれど、信頼はちゃんとしている感じです。(笑)
なぜ日本にサッカー文化が根付かなかったのか?
同じように日本にも1900年代初頭、フットボールが伝わってきています。
まず最初に師範学校(教師養成学校)に広がり、そこを卒業した生徒が、各地に教員となってサッカーを伝えていきました。
戦前・戦中という時代に、先生から生徒へ教育的な指導で伝わったため、「練習中は水飲むと弱くなる」とか、「スポーツ=坊主」という一見理不尽なことでも、忠実に守れる生徒を育てることが重要でした。
自分の都合で押し付けるものは、文化にはならないということです。
街クラブの役割
アルゼンチンにリバープレートというクラブチームがあります。
国内リーグ優勝36回、ボカ・ジュニアーズと並ぶビッククラブです。
彼らも市民クラブなので、市民のためにクラブ施設を開放しています。
週末になると会員(約15万人)は、クラブに集まりサッカーやテニスをしたり、プールで泳いだり、筋トレしたり、カフェで話をしたり、家族全員が楽しめるように設計されています。
またリバープレートには、スタジアム内に幼稚園・小学校・中学校もあり、小さな頃からクラブエンブレムの付いた制服で学んでいます。
このように、ファン自身がクラブに直接的にかかわれると、末永く愛着を持って応援してくれること間違いなしです。
「日本ではまだ難しいでしょ。」と言われそうですが
J2クラブの水戸ホーリーホックは、学校跡地を利用しクラブハウス(城里町七会町民センター アツマーレ)を作りました。
市民が中心となるクラブハウスなのかと思いましたが、行政施設とプロサッカーチームのクラブハウスの複合施設のようです。
これだと作り手(行政)とお客さん(利用者)という、今までと変わらないかたちになっているので、すこし残念・・
でも、このように新たな取り組みは生まれてきています。
ファンにサービスを改善してもらう場を提供し、様々な仕掛けをうちながら続けていく設計が出来れば、いつの間にかサッカーが文化になっているのだと思います。
<了>
無双Argentina C.F. のオフィシャルソングが11月6日に販売されます。
製作の経緯は以前書いているのですが、僕はこの売り上げを子供の貧困率60%というアルゼンチンの子供たちに、食事が出来る環境を作りに使いたいと考えています。
応援よろしくお願いします。
☆☆☆
無双ArgentinaC.F.は、アルゼンチンリーグに挑戦し、2026年2部昇格を目指しています。
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