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頑張る教で疲れたら

頑張る教の信者だったわたしは、

頑張り続けました。

今日はさぼりたい日だったってあるでしょう。

でも頑張り屋だったんですね。

一生懸命頑張りました。

それは、やりすぎだったのでしょう。

あまりにもじぶんの声を無視したのでしょう。

そして、無理強いさせたのでしょう。

ある日動けないくらい体調が悪くなり、そのまま入院。

強制終了となりました。。。

いま振り返るとちょっと笑えます。

まあ、その時は笑えないんですけど。

それで、仕事をやめました。

絶望期っていうか、どうしようもない感じでした。

貧血もひどかったですし。

やりたいことがありませんでした。

やりたいことがあった遠いむかしが、どんな感じだったか、まったく思いだせなかったです。

その時のじぶんとは遠すぎて。

あれから、数年ときはすぎ

いまはずいぶん元気です。

すべての経験は無駄ではないですね。

じぶんの限界を、前よりずっとよくわかっています。

軽トラレベルです。

だけどトラックにはない小回りの良さと軽さがあります。

その範囲のなかで、すこしづつすこしづつ、またやりたいこと、叶えたいことのためにアクションをとっているわたしが好きです。

具体的には、

スペイン語を10分

ストレッチを10分

セルフ整体10分

倒立1分

写経(好きな本を書き写し、正確にはパソコンでタイピング)5分

ブログを書く

レイキを3分じぶんと家族にヒーリングする

などなど。

それから、朝起きたときに、いまある豊かさに感謝すること

ジャーナリング(ひたすらじぶんの気持ちを書く)

感謝ノートを書く

などなど、やりたいことたくさんです。

ぜんぶできているのかって?

そうでもないです。

体調と相談しながら、倒立はムリ、でもストレッチはできるなら、など調整します。

最低ラインはけっこう低いので、ちょっと頑張れたらじぶんをほめるので続けられている気がします。

ジャーナリングは3日に1回くらいです。

だけど取り組んでるんだからえらいですよね。わたし。

数年前の絶望期のわたしが知ったらひっくり返りそうですが、もっと大きい夢も出てきました。

セールスをできるようになりたい。

じぶんで表現できるものをふやしていきたい。

あの絶望期のわたしは、

離婚して家族を失なって、

キャリアを失なって、

次の方向性がまったく見えず。

そのことがとてもつらかったです。


いま、つらいところにあなたがいるとしたら、

それでも絶対大丈夫です。

死なないでいてくれたら大丈夫。

誰かに助け求めて、おいしいもの食べててください。

かならず浮上してくるから。

そのときに、どうかじぶんを責めることだけはしないでほしい。

あなたがしてきたこと

あなたがいまなにかできないこと

ぜんぶベストなことなんだから。

あなたはよくやっているよ。

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