ネガティブがネガティブを呼ぶとき【私の初フルマラソン】
え。ウソでしょ?
さっきまでずいぶん遠くに聞こえていたはずの「声」が、振り向いてすぐのところにまで迫ってきている。
さっきって、いつのことだっけ……?
旭川の土手沿いを走り始めたところだったか。
去年立ってた給水所、あとちょっとで見えそうなのにな。
ゆるゆると近づいてくる車。どんどん大きくなるそのアナウンスは恐怖でしかなく、少しでも距離をとろうと最後の力を振り絞って逃げる。
殺されるわけでもないのに。
拡声器のせいでもあるだろう。
レース前に読んだ本のせいでもあるだろう。
その「声」は、
アウシュビッツの強制収容所に入ってきたソ連軍の兵士が「あなたたちはもう自由の身だよ」と解放してくれるときのアナウンスのようにも思え、
たどりついた先だって爆心地かもしれないのに「追いつかれちゃダメ!捕虜にされる!」と敵軍の戦車から逃げているときに聞こえてくる「降伏しなさい、戦争は終わった」というアナウンスのようにも思えた。
戦時中もここを走って逃げた人がいただろう、その土手で、私たちは瀕死寸前。
生きながらに死んでいる、ゾンビみたいに歩いてた。
「村上春樹が走ってるから」
というのが、「人生で一度はフルを走ってみたい」と思った理由だ。
それがなければ大会など出ず、ひとりで走っているだけで十分だった。
私は筋金入りの村上春樹ファン(ハルキスト)というわけではない。
だいたいの著書を読んではいるが、ラジオを聴くほどではなかったし、良さがわかってきたのも心理学を勉強し始めてからのような気がする。
むしろ自分が走り始めたことにより、村上春樹のランニングに対する向き合い方を知るようになって、
って言葉に物書き魂が揺さぶられた私は、
と、軽々しくも謎の使命感に突き動かされ、出場を決めた。
何事も決めてしまってから徐々に不安にさいなまれるタイプの私であるが、深層心理はいざ知らず、自覚できる限りのかなり深い部分においても嘘いつわりなく、
まぁ走れるだろう
と思っていた。
『フルマラソンが走れたからって小説は書けない(仮)』というタイトルの記事を、すでに完走した気分で書き始めていたくらいだ。
直近3ヶ月で走った距離が、このありさまだというのに……。
2月の吉備路ハーフマラソン前2ヶ月の走行距離
今回のおかやまマラソン前3ヶ月の走行距離
ちなみに100kmウォーク完歩2ヶ月前の歩行距離
8月は釧路に取材に行った後、体調を崩してしまった。
涼しい釧路で走行距離を伸ばそうと思っていたのが、とんだ誤算に……!
朝のおかやまマラソン会場に話を戻そう
AM8時。奇跡的に荷物置き場が一緒だったカナちゃん(ラン友)と、打ち合わせどおり合流した。
カナちゃんの第一声は、
そう。私は、私たちが所属(?)するエビスランナーズのTシャツを着ていなかった。
Tシャツ自体そんなに持っていないので、私は普段もだいたいそのTシャツを着て走っていた。
それなのに当日は、なぜだかわからないが、くたびれたアンダーアーマーの何の変哲もない白Tを着用した。
過去の栄光にすがっていたのだろう。
これまで100キロウォーク、村岡ダブルフルの44km、吉備の山全山縦走35kmなどの超絶過酷な大会を、そのアンダーアーマーの白Tで乗り切っていた。ゲンかつぎというほどでもないのだけれど。
何気ないことかもしれないが、あの日の私はカナちゃんと同じTシャツを着ていないことで急に心細くなった。
このひとことは、その日の最後に待ち受けている私の運命を暗示するかのように不穏に響き、レースの中で何度となく思い出されたのだった。
最後尾でスタートを待つ
昨年の記録があるカナちゃんは、私より前のゾーンで待機する。
私は最後尾ゾーンの中でも少し出遅れていた。全出場者の後ろから1%以内の位置で待機していたと思われる。
ここからは、泣いても笑っても1人旅。
周りにいる人たちを観察すると、案外ひとりじゃなさそうだ。
職場の同期または先輩・後輩っぽい男性の2人組が多い。※勝手な想像です
みんな口々に「ノリで申し込んだけど、ちょっとくらい走ってればよかったな」などと言っている。
この人たちも私と同じく、本当は勉強してるのに「してない」と言うタイプではなく、勉強したら「勉強した!」とアピールしたいタイプに見えたから、本当に走っていないのだろう。※勝手な想像です
私のすぐ前にいた大学生らしき男の子2人にはそれぞれに彼女がいた。髪が長くてスカートが似合う、顔まで似たような彼女だった(失礼)。
それぞれがスタートの瞬間まで彼女と手をつないでおきたいためか、歩道寄りの位置をキープしている。
何を隠そうこの私も、スタートの瞬間に彼氏……ではなく、行きつけ美容室のみんなが駆けつけてくれていることを知っているため、この位置をキープしている。それで最後尾にまで追いやられたわけだ。
ただし、美容室のみんなは社長がいるゾーンBで待機している。
私は沿道に知らない人が連れてきていた、別々のワンちゃん2匹をさわらせてもらうことで癒しを得た。
緊張してもしなくても、どーせしんどいし。
これから最低でも5時間は続く苦行を思えば、このときはできるだけフラットでニュートラルな精神状態がいい。
わかっているが、ひとりになってもなお、このお祭り騒ぎに半分くらいはワクワクし、浮き足だっていた。
スタートのカウントダウンが始まる。
うしろにいた男性2人組が叫ぶ。
「地獄の旅へ……?」「レッツゴー!!」
最後尾からスタートすると、こんなことになる。
給水所で立ち止まるたび「5時間30分」と書いた風船を持っているペースランナーの一団に抜かされる。
けっこうがんばって抜いたつもりなのに、すぐに追いつかれた。
これが結構メンタルにくる。
スタート時の待機場所は同じゾーンの中でもできるだけ前を陣取るべきだったし、少しでもバラけてきた時点でできるだけ前に進んでおくべきだった。
本格的に疲れる前に、ちょっとでも前に行っておくべきだった。
専門的なことはよくわからないが、頼れるのはメンタルの強さだけだった私には、おそらくそれは確かな「should」だっただろう。
その「5時間30分」に追いつけなくなったのは20kmを過ぎたあたりのこと。
1回は30kmを走っておくようにアドバイスされていたのに、20kmも走っていなかったことを今さら悔やんでも遅い。
「ここ踏ん張りどころよーー!
歩かないでーーー!!!!!」
「あの風船についていこうね、
ちょっときつくなっちゃったけどねー」
完走応援隊の大先輩女性たちに声をかけられたのは、確か28kmくらいで「6時間」の風船に抜かれたとき。
「でもまだ間に合うからね、あの坂の下まで走ったら、歩いていいから。あそこまでは、絶っっ対に歩かない!!!」
風船に必死についていくが、なにが苦しいのか、すぐに歩きたくなる。歩いたって足は痛いし、だったら、立ち止まらずに一定のペースを保つ方が楽なのに。
歩く癖がついてしまった。これこそ長距離の世界に足を踏み入れて、何度となく実感した「まやかしの疲れ(?)」だ。自分をこれ以上追い込むことができず、心にストッパーがかかる。メンタルのしわざだ。
足の痛さは100kmウォークの方がずっとひどい。
村岡ダブルフルのときみたいに足を痛めてもいない。
でも、呼吸が、肺が、しんどい……(気がする)!
ああ、完全に体力が落ちている。完敗だ。
見るのがこわくてレース後にガーミンを確認したら、1年前と比べて8kgも太っていたのに、それでも走っているつもりになっていた。
少しずつ、ネガティブが集まってくる。
それでも信じられないことに、このときの私はまだ完走できると思っていた。
ただ、いつものやつがこないなぁと、ひたすらに焦っていた。
……こない。こない。過酷な旅の道中、閾値を超えると訪れる(100kmでは72km以降、ダブルフルは16km以降に早くも訪れた)、どこかに感覚がトリップする瞬間がこない。
このしんどさを、どの一瞬も逃さずに味わうなんて苦行があってもいいの?!
立ち寄るエイドに、もう果物はない。
ラーメンに寄る人も、もういない。
ある意味のんきに走っていた私は、アプリで応援してくれていた人たちをすべての関門で「もうやべーじゃん」って、ハラハラさせていたらしい。
自分でそれに気づいたのは「ラーメン」の前の関門くらいから。
関門を突破するたび、周りの空気が感動に包まれていた。
「よし!のこり2分残して突破!やったね!生き延びた!」
沿道の人たちも教えてくれる。
昨年、たまたまマラソンの特番を見て、関門で涙する人たちにもらい泣きしたんだっけ。
まさか自分がこうなるとは思ってもいないわけで……。
ネガティブがネガティブを呼ぶ
「ここはがんばりどころよ!ここを超えたら楽になるから!!」
完走応援隊の大先輩女性2人が、30kmを過ぎた関門のあと、ヘロヘロに生き延びている私たちに声をかけながら猛スピードで追い抜いていく。
ほんと…に……?楽に…なるの……?
「34kmの関門を突破したら、少し楽してよくなる設定なんよ!」
歩いても行けるペースじゃないかな。そのかわり、今!今はしんどくても、走って!あ・る・か・な・いーーーー!!!
声かけのおかげでなんとか34kmの関門を突破する。
次の関門までの残り時間にチラリと目をやり、距離で割る。そんな単純な計算をするエネルギーすら、残っていなかったのだけれども。
キロ10分か。なるほど。
歩いて、走って、歩いて、走って。
これを繰り返せば、行ける......!
計算が正しかったのかどうかも確かめずに書いている。が、とにかく「今までと同じようにすれば次の関門を突破できる!」と思うことで心を奮い立たせた。
そこで、冒頭に戻る。
え。嘘でしょ。
まさかゴールできない結末?そんなはずじゃないんだけど......?
足だけじゃない、体のいたるところがボロボロになって、明日もう仕事になんて行けない状態で終わるってこと、それは分かってる。でも、ゴールは......ゴールだけは、できるはずだったでしょ?
......私にできないことがあったのか。
(※死ぬほどある)
コースの途中でついた無数の小さな「傷」から、心のエネルギーがポタポタ漏れては減っていた。どんなに強がってみても、小さなネガティブがたくさんのネガティブを呼び寄せる。まるで心の傷から出てくる血の匂いを嗅いで集まってくる虫みたいに。
私、なんでこんなガチな大会に堂々と出て走っちゃってんの?練習してないのに練習してるっぽくアピールして応援してもらって、恥ずかしくないのか?関係ないけど最後に大笑いしたのっていつだっけ?マラソンだけじゃなく自分の事業もこのまま軌道にのらないまま終わるんじゃないの?てか、コツコツってめっちゃむずいな......「コツコツがんばりさえすればできることだったら、コツコツがんばればいいだけだから、叶えよう」ってメッセージを受験生に届けたかったんです......ってインタビューで話す予定だったじゃん。あああ、どうしてこういうしんどいときに生徒のことが出てくるんだ......離れること考えたら身を裂かれるような気がした教え子たちのこと、今はこっそりSNSからのぞいてる......もう子どもを置いて出てったお母さんそのものじゃん......子どもといえば、孫のためにセーターを編むようなおばあちゃんになることが夢だったんだが、そんな私になぜ子どもがいないのか?......いないといえば、応援に来てくれているはずのあの子がなぜここにいないのか?......って、そんなの今思い出さなくていいよほんとに泣いちゃうよ......亡き友のために走るとかはリレーマラソンで終わりにしろって?……ごめんだけど、生きてる私にも、もうこれ以上は無理っぽいです......なさけなくて、ごめんね。
横で急にスピードを落とした見知らぬ戦友に、私もブレーキをかけながら話しかける。
「あと2分であそこまでって、
無理ってことですよね?」
「無理ってことです」
もう逃げなくていいんだ。戦争は終わったんだ。負けたんだ。
ひとりぼっちの帰り道
静まりかえっていた回収バスを降りると、ボランティアの女の子たちが「本当にお疲れさまでした」と笑顔でパンをくれた。
バスに回収されるときにランニングシューズからGPSを取り外してくれた子は、私が真っ赤な目をこすっていようともお構いなしにドライな対応だったが、降りたときの子は「出たことがすごいですよ」と言ってくれているような表情だった。※勝手な想像です
ゴールするはずだった現場は、首に備前焼のメダルをしている人であふれかえっている。
(あの人も、あの人も、あの人も、あの人も、完走できたんだ……)
自転車置き場まで歩いている途中、ランナーのおじさまたちと目が合い、おそらくハイになっている相手方が、
「寒そうですね?大丈夫ですか?」
と、青白い顔をしていたであろう私に声をかけてくれた。
急に自分がひとりであることが寂しくなり、
「わたし、
完走できなかったんですーーー」
と、思いのたけをぶちまけた。※ちゃんと同情され励ましてもらった
家に帰っても、ひとり。
こんなに孤独を感じたのは久しぶりだった。
ビールを買い忘れて立ち寄ったコンビニでメダルをした人を見て、無償に悔しかったのを覚えている。
悔しいという気持ち
私は「悔しい」という気持ちに突き動かされて自分の力以上の力を出せたことがこれまでに多くあったと思う。
だからときどき考える。
でも、そんなことは現実的でなく、不思議なほどすぐに通常生活に戻る。
当たり前といえば当たり前だし、そうでなければストイックすぎる、付き合いづらい奴になってしまう。
こういうふうに時々悔しい気持ちにさせてくれる出来事があったら、それに感謝するくらいでいこう。
後日談として、最も私が悔しさを覚えたのはマラソン後2日目のこと。
ある勤務先ではその日、私の大好きなバレーボール大会が開かれていた。
いつもの私なら、事前に油断させておいて、心の中は「いきなりサービスエース決めてやる」くらい前のめりで参加する。
でもその日は1日遅れてやってきた筋肉痛で素早い動きができそうになかった。
すると、私にバレー参加を促した、齢60歳を超えているソーシャルワーカーの先生が、こう言った。
勝手にその先生が運動をしていない人だと思っていた。よくよく所作を観察していると、バリバリに活躍されているし、見抜けそうなものを……
悔しいとか言ってる前に、自分ができることをまずやろう。
陰でがんばる全ての努力家たちをリスペクトする。
あとがき
1週間後、美容室に朝の応援のお礼に行きました。
もうそのときには悔しさはどこかへ行っており、
と言えるまでになっていました。
ネガティブがネガティブを呼び、負のスパイラルに入ったとき、私は自分で創り出すユーモアに救われてきました。
ここまで書いてきた話をウケるかどうか話してみたら、付き合いの長い人たちが随所で笑ってくださったことに自信を得て書き上げることができました。
心理師ライターらしく感情にフォーカスしたかったのですが、単なる自分語りになってしまった部分は否めません。それでも最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
最後になりましたが、ゴール付近で待っていてくださった皆様、そこまでたどりつけなくてごめんなさい。いただいたメッセージ、本当にうれしかったです!
来年も出るつもりなので、声援お願いします。(もちろんもう走っています)