ASDではなく、一人の人間として生きていくという心構え
こんにちは、十条です。
皆さん本日もご覧になってくださり、ありがとうございます!私は最近仕事とかでヘトヘトですが、なんとか頑張れそうです!疲れやすさは、体力つけようと頑張っているところですが、やはり無理そうなので、無理しない範囲で頑張ります!
さて、先日は将来の夢の見方についてお話させていただきました。大人達は、私達が子供の頃はよく将来何になりたいか訊いてきたけれど、大人になると夢ではなく現実見ろと多くが言ってくるので、なんか矛盾しているなあと思いながらも、子供の頃の夢を忘れて現実に取り組んできました。妥協と我慢することが当たり前の世界。でも、何か少し違和感を感じてきました。なので、昨日の記事を書いたのですが、本日は私自身のことについてお話させていただきます。
本当は、ここに公開するのを躊躇っていたのですが、クリエーターの一人として、皆さんと情報共有出来たら良いなあと思うのと、同じような悩みを抱えている方たちに少しでも役に立つことが出来たらと思っています。といっても、今は宿題中で途中で抜けてきたよな感じなので、大きい声でなく小さい声でお話するのですけれどもね(笑)
◆ASD(自閉症スペクトラム)とは
まずASD(自閉症スペクトラム)とは、皆さんの多くは既にご存じかと思われますが、社会性や想像力、コミュニケーションの障害のことです。以前は広汎性発達障害(PDD)やアスペルガー症候群等と呼ばれていたようですが、今は自閉症スペクトラムに統合されているようです。
私自身はといいますと、まだ病院で正式な診断は受けておらず、また手帳も取得してはいない為、定型発達の人として生活を送っています。大学の頃は、学生相談室の発達障害専門のカウンセラーさんより仮診断を受けたのですけれどもね。そのときに受けたWAISEーIIIという知能検査を受けたのですが、その傾向があるということがわかりました。具体的には、言語性IQと動作性IQの差が最低でも20以上あったのです(定型発達の人ではその差は多くとも15以内には収まるそうです)。
その20以上の差とはどういう意味かといいますと、得意不得意の差が激しいということです。あることはすごく出来るのに、別のあることはあんまり出来ない。その為に、怠けてるとか努力不足だと怒られることが結構あるそうです。私も、怒られることが多かったです。その為、自己肯定感が低下し、人によってはうつ病等二次障害も起きるそうです。
・ASDの傾向を持つ私
先ほども申し上げました通り、私自身は正式に診断を受けたというわけではありませんが、ASDの傾向があるといういわばグレーゾーンの位置にいます。割合でいうと、100人に一人や数人というわけではないですが、それでも全体の1割か、または15%ぐらいというところでしょうか。
確かに、稀ではない為、障害としては認識されづらいかもしれません。とはいえ、マイノリティーの為、学校や職場等で集団行動をする場合には、何かの問題が発生することはたくさんあります。
人の話の内容を上手くつかめない、物やスケジュールなどを整理できない、勉強についていけない、友達の輪に入れない等です。私は、小学校低学年の頃はとりわけそのようなトラブルを起こしていたため、先生からはすごく心配されたり叱られたりしました。親からも怒られることが多く、しだいに自分てなんてダメなんだろうという風に、自己卑下する傾向へと陥ってしまったのです。
いつも人に助けられてばかりだし、自分ではできることが少なすぎるし、自分って何のために生きているのだろうと思うこともありました。当時はまだまだASDを始めとした発達障害が一般に認知されていない時代でしたから、私は今から思うとすごく辛い思いをしてきたんだと思いますね。
・本田秀夫先生との出会い
出会いといっても、実際にその方とお会いしたわけではなく、偶々本で知ったのですが、支援者の紹介で公営の就労支援所で放課後、本棚で見つけたのです。本田秀夫先生は、発達障害専門のお医者さんです。
その方によれば、10人に一人は自閉症スペクトラム障害の傾向を持っているそうで、思いっきり私だと思いました。実際は思った以上にそのことで悩んでいる人がいたということです。でも、ハッキリとはわかるようなものではなく、普通に会話できるし、また知的水準も標準以上であるため、なかなか気づかれにくく、その為に学校では見逃されやすいです。
でも社会人になってから問題が起こるようになり、そこで発達障害だとわかることも数多くあるそうです。私自身もそうでした。といっても、小学校から大学までの間、とにかくみんなを追い越そうとか思い、必死に努力して貫いてきたため、その後はやや燃え尽き気味でした。支援学級ではなかったため、フォロー等サポートしてもらえることもなく、本当に自分だけの努力のみだった為、今から思うとかなり大変でした。
本田秀夫先生の本を読んで、私はすごく合点がいきました。この方は単に自閉症スペクトラムか否かにこだわっているわけでも、自閉症スペクトラムの人に一般社会に適応できるよう努力せよと指導しているわけでもありませんでした。その特性を持ちながら、どのようにして上手に社会の中で生かしていくのか、そして活用していくのか、を考えていらっしゃいました。
また、自閉症スペクトラムの患者さん達の配慮もよくされており、その人たちの行動自体が悪いわけではなく、その特性ゆえに問題が起きるということであり、ではどのようにしたらそのトラブルに対処できるのかとわかりやすく解説されていたので、思わず見入ってしまいました。この本すごく欲しい!とも思いました。実際にこの方の本は周囲の方も気に入っているようで、評判はすごく良いですね!
で、この本田先生はいつかのNHKプロフェッショナル仕事の流儀にも出演されていましたが、私はあんな素晴らしい先生に診察してもらえることが出来たらなあなんて羨ましがりました。診察室は、本当に日々笑い声が途切れないのだそうです。それは、談話していて面白いと感じたときに起きるような自然の笑いのことです。病院特有の緊張感なんて全然なく、リラックスして受けられるのが本当に良いところです。
・就労移行支援事業所に適応できなくなって全然問題ない!
これはいわゆる派遣切りというものにあったあとのお話ですが、私はカウンセラーさん(これは発達障害専門のではなく一般の)に勧められて就労移行支援事業所という障がい者の為の職業訓練センターに見学に行きました。
行ったところは2か所。ですが、私にはどちらとも向かなかった為、名前は伏せさせていただきます。片方の事業所については複数系列校があり、比較的大きな事業所です。また、そこの事業所長のお子さんが発達障害ということもあり、もしかしたら私の悩みもわかってくれるかもしれない、と期待していました。
けれど実際には、どちらかというと本人の努力に委ねられているような感じでした。そこで問題が起きても、基本的には自分で解決しなさい、と。カリキュラムや、就職活動のやり方等、発達障害者に適した進め方を示されてはいるものの、一人一人のニーズや状況に合わせているとはあまり思えず、私のような脱落者が出てもおかしくないだろうなあとも思いました。
一応進路相談とか担当の職員がついてはくれるのですが、どちらかというと、自分と合わない相談員であったとしても、職場の上司と同様に合わないなりにもちゃんと上手くやっていきなさいよということなのでしょう。多分たとえ不満があったとしても納得がいかなかったとしても簡単に担当を変えさせてはくれないだろうなあということで、なんだか受ければ受ける程ストレスが溜まりそうでした(移行支援所の支援者の皆さん本当にごめんなさい!)
就職率は非常に高く、ネットでの評判も非常に良いのですが、私自身はついていけないと思ったため、順番待ちをして2か月くらい経った後に参加するかしないのかと訊かれたのですが、結局辞退しました。ちなみにそこは、受講費無料です。ただ、障がい者手帳の取得は必須です。また、就職は障害枠になるので、もし読者さんの中で障がい者就労支援所を希望されている場合には、自分の適性やタイプ等とよく相談をしてから、まずは見学からでもよいので、参加してみてくださいね。
もし仮に合わなかったとしても、全然問題ありません!決して落ち込んだり卑下したりしないでくださいね!私自身もついていけませんでしたので!でもそれは個人の努力不足とか能力不足のせいではありません。偶々個人のニーズと合致しなかったことと、事業所の方針と私達の方向性が合わなかったため、またそこの事業所の人達との相性もあります。
また、私自身としては、そもそも就労に絞った支援のみならず、実生活のこと全般のサポートも必要だと感じておりますね。
・ASD患者としてではなく、ASDの特性を持った個人として生きる!
今まで私は、ASDの診断にこだわっていたような気がします。何故かというと、自分自身が苦しんできた原因を知りたかったからです!自分の能力不足と努力不足を認めることがすごくイヤでした!私は私なりに頑張って来たのに、まだまだ頑張りが足りないとか、そんな問題なんて誰でもあると否定されることがすごく苦痛でした!
また、私が自閉症スペクトラムということで安心も得たかったのです。多分それは「普通の人」という呪縛から早くも解放されたかった為もあるのでしょう。
でも実際は、たとえ診断を受けたとしても、その「やらなければならない地獄」から抜け出すことはできません。というのも、では手帳を取って就職活動をしなさいよ、ということになります。就労移行支援所に行けば、集団活動をするので、それについていけなければ、就職することは当然ながらできません。
たとえストレスを抱えていても、問題が起こったとしても、基本的には自分で解決しなければなりません。これは当たり前なのですが、ただその問題が起きたときの気持ち、例えば苛立っているとか、不安に思っているなどといったことを、職員の方にあまり打ち明けづらいなあとも感じました。
また、これは私自身が「外れ者」だからなのかもしれないですが、発達障碍者は集団行動する上で問題を抱えている人が数多くいて、だからこそその特性を抑えつけるのではなく、集団に適応するために自分の要求を我慢するのではなく、上手く活用しながらかつ無理しないようにして社会で生きていく方法について、試行錯誤であっても、見つけていけたらよいのではと思いますね。
だからこそ、私自身はASD患者としてではなく、ASDの特性を持った一人の人間として、この社会で生きていこう、もう自分が障害かそうでないかなんて思わないようにしよう!って思ったのです。
だって、その特性を持っていたとしても、それはあくまで集団の中で行動していて現れるものであるので、たとえば他にちょっと変わった人がいたりとか、同じように集団に溶け込めずに困っている人がいたりとか、また多人種多民族で育ってきた外国の人や同じ日本人と付き合っていたら、案外目立たないようです、というよりも上手に調和していくのです。
また、自分もあの人と同じようにユニークで変わった人なんだなあと感じることが出来、社会不適合者として落ち込む必要もなくなります。
ああでなければいけないこうでなければいけないという社会的な制約から少し身を自由にして、自分自身の個性を受け入れられたら良いですよね!
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