企画を持ち込むーメンタル千本ノック
……はい、私のことですね。
「一作でいいから(以下省略)」という初心をコロッと忘れて欲を出し、さっそく原書あさりの旅に出ました。現地の目ぼしい文学賞を獲った作品を取り寄せると、まずは重版しているか確認し、最初の訳書を仲介してもらっただけで面識はないエージェンシーにのりこみ、たまたま対応してくれたスタッフに版権の空きを確認しては企画書を送りつける、ということを繰り返しました。
翻訳書は著者に加えて訳者の印税、さらにエージェンシーの仲介料が書籍の価格にのる。コアな海外文学ファンは大勢いるが、多く売れるにこしたことはない―という、ちょっと考えればわかりそうなことがまるでわかっておらず、ずいぶんとご迷惑をおかけしました。
出版社だってなるべく実績のある訳者に頼みたい。電話先で断られることもあれば、承諾を得て企画書を送ってもなしのつぶてで、しばらくして著名人の翻訳で出る、ということもありました。その作品が何か賞を獲った日は、はじまってもいないのに「おわったな」とひとりたそがれました。
ところで、最近になって知ったのは、出版社にアポなしで送りつけられる企画書や全訳の数が半端ないらしい、ということです。激務の合間に提出したすべてに目を通したうえで、きちんと理由を挙げて断ってくださった方々には今でも頭が上がりません。いただいたアドバイスはアプローチの見直しや持ち込み先の選定におおいに役立ちました。
意地汚いハンティングに疲れていたときに出会ったのが『山のある家 井戸のある家 東京ソウル往復書簡』です。
読み進めるうちに目に留まったのが韓国の女性作家のパイオニア、パク・ワンソの日記に言及した箇所です。彼女の作品はすでに日本でいくつも紹介されていて「エッセイじゃなくて日記?」とがぜん興味がわきました。
はたして「心情の吐露」などという生易しいものではなく、口から内臓を裏返すような壮絶な告白でした。日記を書くきっかけとなった不幸が起きるまでの睦まじい家庭や栄えある作家としての地位をかなぐり捨てるような気迫に「とんでもないものを読んでしまった」と思いました。
あてもなく翻訳を始めてみたものの、思うように進みません。200ページ足らずなのに、ボール状の原作に自分の手垢と臭いがしみついた訳語が書かれた付箋を無理やりペタペタ貼りつけたような不格好な仕上がりにしかならないのです。「こんなの作家の声じゃない」……そのとき遅ればせながら、他人の書いたものを自分の言葉で移すことの恐ろしさを知った気がします。
当時、作家はがんで闘病中でした。そんな人にどんな名目で、忘れたくとも忘れられない不幸を異国の見ず知らずの人々に紹介させてくれと言うのか。おまえは死につつある人の不幸を踏み台にして自分の名前を売るつもりなのかーぐずぐずと企画書を送っては断られるたびに心のどこかでホッとしていました。最後まであきらめなかったのは「うちでは出せないけれど絶対に世に出るべき書だ」という励ましがあったからだと思います。
けっきょく翻訳が世に出たのは6年後で、著者が亡くなった後でした。こちらにその経緯のあらましが載っています。
文中にはインターンの息子が母親である著者に「麻酔科に行きたい」と申し出る場面があります。「手術の最中に命綱を握っているにもかかわらず、覚えていないから術後に感謝されることもない。自分はそういう淋しさに惹かれるのだ」と。
この作品に出会ってから、黒子をこえて著者の思いをろ過するだけの透明なフィルターでありたいと思うようになりました。少なくとも悪い意味で「誰が訳したの?」と言われないよう精進したいです。