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日本で唯一、気象神社のこと

ノーベル物理学賞を受賞された真鍋淑郎さん。専門が気象学だと聞いてふと思い出したのは、高円寺にある気象神社のことである。
今でこそ、お天気は生活に密着し誰もがスマホにアプリを入れて使える情報になった。
私も出かける前には必ずアプリを開き、天気を確認し来ていく服や靴を考える。まさに生活に密着した情報がお天気予報である。

そのお天気に関する神社が高円寺氷川神社内に末社として鎮座している。


氷川神社の鳥居を一礼し、境内に入ると左側に小さな鳥居があり、参道にはてるてる坊主や下駄の形をした絵馬が並んで納められている。
其々には運動会や遠足、大事なイベントの日の好天を願う文言が書かれている。そりゃそうである。イベント当日の好天を願うのは当然だし、それは平和で長閑な光景でもある。
境内には神社の御由緒について書かれた案内板もある。それによると、遷座されたのは第二次世界大戦後、場所は現在地とは違っていた。
気象神社は元々、陸軍気象部の敷地内に建立されていた。その場所が現在の馬橋公園である。

気象神社遷座の経緯
1944年4月、大日本帝国陸軍省陸軍気象部の構内に伊勢神宮から八意思兼命(やごころおもいのかねのみこと)を遷座、伊勢の下宮に倣った素木の神明造の社殿を造営した。宮大工によって作られた本格的な社で、神主を招き遷座祭も執り行われた。
戦争末期、戦況も微妙な状況でそこまで本格的な神社が必要とされた理由は詳しく述べられていない。単に「気象予測的中祈願及び精神的な拠り所を求めた」というところまでは記録に出てくる。終戦直前に空襲で焼かれたが、すぐに同じものが再建されるもその直後、終戦を迎えた。
その後、GHQによる国家神道廃止令により多くの神社が撤去されるが、何故か記載漏れ?により、神社は破壊を免れた。戦後、陸軍気象部の跡地は中央気象台に引き継がれ、神社は払い下げとなり最終的に氷川神社境内に末社として落ち着くことになった。

筆者が高円寺にあったアパレル会社に勤務していた時、社長命令によりシーズンごとに総務担当者が参拝に行き、天候不順が売上に影響しないよう御祈願していたのを覚えている。アパレル産業はある意味でお天気ビジネスだということをその時に知った。

戦争とお天気の関係
中央気象台が筑波に移転し、広大な敷地は区に払い下げされ馬橋公園として整備された。春には桜も美しく近所の憩いの場となっており、陸軍気象部の面影などはどこにも見当たらない。
唯一残されたのは陸軍と彫られた境界石ひとつだけ。神社のあった場所も桜の木の下らしいことしかわからなかった。因みに桜はお花見出来るくらいある。

当時の陸軍気象部について調べてみた。何故、陸軍がお天気に拘ったのか?
それは古来より戦況は気象により左右されてきたことにある。つまり、気象予測は戦略上欠かせない軍事機密でもあった。実際、気象部ではデータ収集のため外地に少なからぬ人員を送り、日々気象情報を本部に送信していた。そのデータ解析のため、海外から最新の知識と情報を集め、気象技術員を独自に教育もしていた。言ってみれば、ここは気象予測と戦略を立てるシンクタンクでもあったかもしれない。


日出る国の不思議
そんな最先端の気象研究をしている場所に、何故神社?まさか下駄投げてたわけではなかろう。科学と神頼みはまったく相反する…。
ここからは妄想である。
まず伊勢神宮から遷座する必要性はどこにあったのか。
その理由はひとつしか浮かばない。伊勢神宮は皇室の祖先を祀っておられる。それ故にそのお力を仰ぐことにしたというのもない話ではない。ましてや時代が時代である。現人神とされた天皇とその祖先に戦勝祈願すること。場合によっては神風の招来も願ったかも知れない。
戦の前に神に武運長久を願う習慣は日本古来の伝統である。気象神社も同じように扱われたとしても不思議はない。ましてや当時、大勢の技術員を外地に派遣していた。彼らの無事を祈ることもあったはず。
そこにはこの国の根っこにある、目に見えない信仰があるようにも思う。神は自然の中にいて、いのちを司るもの。西洋の自然と対決する姿勢とは大きく異なる概念があった。自然とは共存共栄するしかない。それを司るのが日出るところの天子、つまりは天皇だった。それ故に神は伊勢神宮から呼び寄せる必要があったのではないだろうか。
記載漏れにより残ったのもなんらかの意志があったようにも思える。

因みに陸軍気象部がそれまで収集した気象データは軍事機密とされ、全て廃棄するようGHQは命令を出した。それは今の気象を知る上で貴重なデータでもあったかも知れないが、戦争に利用されたことで意味が違ってしまったのは残念なことだと思う。

明日天気になーれ
私も旅行に行く前には必ずここに参拝に行くが、天気予報では雨でも現地行ったら晴れているというケースは幾度も経験した。財布にはお札も入れてある。
どうやらお天気に関しては、科学は必ずしも万能って訳でもないらしい。

初まりは国家の思惑によって建立されたにせよ、何故か破壊を免れ、今では日本で唯一となった気象神社。
天気は農耕によって生計を立てる暮らしをしていた先祖にとって、生死を分けるほど生活に密着していた。同時に自然の摂理には逆らえないという諦観も持ったはずである。ならば自分たちが自然に沿って生きていくしかない。其々の場所で日々自然を観察し、予想しては考える。それによって創意工夫と多様性も生まれたと思うのは穿ちすぎだろうか。

晴れても降ってもそれは自然のめぐみ。
「めぐみの雨 あなたが向上できるてんき」
私が引いたてるてるみくじの御告げ。深い…ありがたいことである🙏

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