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循環するファッションを考える

*カバー写真は2017年、ブルックリンミュージアムで行われた”GeorgiaO’keeffe Living Modearn”にて筆者撮影。メンテナンスしながら大事に着られていた事がわかるブラウス。

困った着物に呆然とする
私は途方に暮れた。箪笥に詰まった母親の着物を見た時に…。
かつて着付けを習い、歳を取ったら着物で過ごすのだ!という野望は五十肩により帯が結べなくなり挫折した。何よりこの着物は私のサイズではない。(母親は小柄だった) 
例え帯が結べたとしても着られないのだ。
売っ払おう!そう決めた後も何故かモヤモヤする。

着物は着る物、そう着る物なんである。一枚の布から着る物を作る、そこは洋服と共通する。生地が違うだけなのだ。洋服に直せば着られるものもあるかもしれない。
ただ着物から洋服にすると何故かダサい。いきなりおばちゃん服になってしまう危険は否めない。
もっとかっこよく出来ないのか?
はるか昔の文化服装学院出身、一部でおしゃれ番長とも呼ばれている自分が何とか出来ないはずはない…のか?

はっきり言って留袖や訪問着でドレス作る気はない。ドレスにした途端、再び箪笥の肥やしである。そもそも、それが必要なオケージョンはいつ来るのか?
残念だけどその辺りの着物は売っ払おう。
ポイントは作り変えたあともカジュアルに着られてメンテナンスが楽なスタイルが良い。着古した銘仙の柄が気に入ったので、これを試してみることにした。
(その後、捨てようとした木綿の寝巻きにも手を出した…。)

着物を解いてみる
昔は着られなくなった着物は解かれ、洗い張りをした後で別のものに作り替えるのは当たり前だった。特に洗える木綿の浴衣は最後に雑巾として使い倒せ重宝された。
銘仙もつぎはぎして布団などに使われたはずである。大事に使い循環させる事が普通に行われていた。

散歩中に近所で見つけた仕立て屋さんに相談に行き、まずどうすれば洋服に出来るのか聞いてみた。
とにかく、全部解いて水洗いして布の状態に戻すこと。解くことから依頼するとコストも掛かるので自分で布の状態に戻すようアドバイスを受ける。
どこから解いていいのかもわからないのでそこから教えて貰った。
昔の着物なので仕立ては手縫い、縫い目は1ミリくらいの細かさ。驚くほど丁寧に縫われていた。解いていると、縫った人の気遣いや几帳面さが伝わってくる。誰が縫ったかはわからないけど、もしかすると母親の身内の女性かも知れない。何故かシンパシーを感じるのが不思議だった。
ただ、解くのは苦労した。細かすぎる縫い目のお陰で目はかすみ、腰と肩は固まり大変だったが丸一日掛かって、着物は布に戻った。
そこからバケツにおしゃれ着洗い用の洗剤を入れざぶざぶ手洗い。脱水をかけバスルームに陰干しして、乾いたらアイロンをかけやっと仕立て可能な状態になった。
思ったより大変で時間が掛かる作業にぐったりするが、達成感はある。
昔の母親たちはいつどうやって、この時間を捻出したのだろう。なんとなく、敬虔な気持ちにもなった。箪笥の奥から陽の当たるところへ出してあげなくては。本気でそう思った。

ほどき終わった状態。総裏の袷、仕立て方から戦前と推察。母親が嫁入り支度で持たされたか?

出来上がりを早速試着。満足な出来にニヤニヤしてる。

洗って仕上げた生地は結局、ワンピースに変身した。残念ながら緊急事態がころころ延長され殆どっていうか一回しか着ていない。着心地は悪くないのに着ていく機会がないとは想定外である…。

古い浴衣(寝巻き?)をアップサイクル
あまりに大変なのとコストも掛かるのでもうやらないつもりだったが、いい感じにこなれた寝巻き?2枚発見、懲りずに夏物のワンピースとシャツに仕立て直した。丈夫で洗濯もガシガシできていい感じである。
通常、浴衣は買取も難しく処分されることが多いらしい。私も捨てようとしたし…。


モノクロチェックは父親の寝巻きと思われる。花柄は母親の寝巻きか?どっちも最初は捨てようと思ったけど、生地がこなれて肌ざわりが良かった。昔だったら子供のおしめになったはず😆

資源として考えてみる
今この国には手を通されず放置されている着物が大量にある。日常の着るものは洋服へ変わったことで不要となった着物。昨今、着物ブームもあるけど日常の衣服とまでは行かない。そしてある日、母親の箪笥を見て呆然とするのだ…。私だけど。
親が死んで残されたあれこれに途方にくれている人、或いは近い将来そうなりそうな人は少なくないという気がした。
特に古い浴衣など、もはや捨てる以外ないと思う人も多いと思う。でも、自分で解いて仕立て直すには木綿の方が絶対にメンテナンスが楽。
洗濯機で洗えるのは大事なポイントである。
カジュアルでシンプルなデザインで仕立て直せば今でも十分使える。
何より、昔の生地は明らかに今のものより質が良い。
解いてみてそれが良くわかった。

こうやって着物から洋服にすればまだまだ楽しむことができる。
例え私が着なくなってもこれはこれで、誰かの元へ送り出すことは出来る。既に半世紀過ぎた生地は柔らかくこなれて肌馴染みも良い。
思えば昔の母親たちは家族のために古い着物を仕立て直し、生活のため再利用した。
限られた資源を無駄なく使い切ることが当たり前だった時代があった。
そこに戻ることは無理でも出来ることはある。何より、こうやってアップサイクルされた服はonly oneでone of a kindなのだ。

パンデミックは確かに生活そのものを変えた。ファッションとて例外はない。そして有り余る箪笥の肥やしは今後貴重な資源にならないと誰が言えるだろう。断捨離もいいけど、直してアップサイクルも選択肢として考えていいのではないか。
何事も経験である。着物を仕立て直す作業はファッションの別の側面を見つめる時間だった。手を掛けて新たな命につなぐこと。出来上がった服を通してコミュニケーションを容易にする。なぜなら服と一緒にストーリーも作ったから。
服をまとう楽しみを再発見した気がする。

おしゃれすることはスタイルであり生き方である。
Fashion is the armour to survive the reality of everyday life. by Bill Caningham
ストリートスナップの第一人者であるビル・カニングハムの言葉である。
「ファッションは現実を生き抜くための防護服であり戦闘服」と自分は解釈した。
であれば、カッコよくなきゃ意味がない。そこは譲れないとおしゃれ番長は密かに思っている。

ドビーが入ったチェック。質がいいことは触っただけでわかる。手持ちのビンテージ釦を付けた。

Vネックのフレンチスリーブ。もう一枚、半袖Tシャツが出来て使い切った。

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