心にのこるご飯を、思い出した。忘れていた記憶と、向田邦子さんの「父の詫び状」。
心にのこるご飯、と聞いて、私には何が思い出されるだろう。
前から気になっていた、向田邦子さん。テレビドラマの脚本家であり、エッセイストであり、小説家。若くして、私が生まれるより早くに亡くなっている。
歴史に興味がもてるようになるヒント
歴史、というものにあまり興味が持てなかった。自分が生きている今に生きていない人に興味がなかった。昔の人たちは、昔の枠組みを出てくることはなく、私の世界の外にあった。
中高で学んだ歴史は、ほとんど私の頭の中に残っていない。
これが、織田信長だったか、徳川家康だったか、調べるぐらい。
「1192(いいくに)つくろう鎌倉幕府」。今でも覚えているこのゴロは、「1185(いいはこ)つくろう鎌倉幕府」に変わっているらしい。
あの時、歴史で私は何を勉強していたんだろう。ただの暗記になってしまい、その時に起こった事象から学ぶことが一切なかった。
男子は、歴史が好きな人が多かったように思う。あくまでも私の主観。
いつか、面白い話を聞いた。男性は、例えばサッカー観戦をしている時に、自分が監督になったつもりで選手の采配や作戦を考えるとのこと。
「俺ならこうする」とまるで自分がコートに立っているかのように。
歴史に対する捉え方も男性はそうだったのかもしれない。誰か中国の昔の武将について、自分に置き換えての、憧れ。歴史上の遠い人物と距離を置いてしまうのではなくて、その世界に入り込んだつもりで考える。
それ、めちゃくちゃ有意義な時間だったろうなぁ。楽しかっただろうなぁ。私も、そういう構えで歴史を勉強できたら。ただ字面をなぞって覚えて忘れる無意味な作業でなく、意味のある時間を過ごせたかもしれない。でも、当時は楽しめなかったのが事実なのだ。
そんな風に、過去に生きていた人は、私の短いものさしでは測れるものではなかった。だから、私の生きている今存在している人の本ばかり読んでいた。
ついに今月、向田邦子さんの本を読んだ。
時代を超えてつながる気持ち、と心にのこるご飯
確かに、時代によって文化の違いを感じる。ただ、異国の違う言語を話す人と話して、共通項を発見したり一緒に笑ったりして幸せを感じるように。心が通じ合うような何かが込み上げてくる。そういうことが時代を超えて起こるということをようやく理解した。
心にのこるご飯。
父の詫び状、の中で、心にのこるご飯という単語が出てきた。向田邦子さんの何がすごいかというと、文字を見ているだけなのに、遥か昔の時代の風景や人物が生き生きと目に映るようなのだ。
それにつられるように、自分にかえる。私の心にのこるご飯は、なんだったただろうかと。
私は、年少・年中・年長と幼稚園に通った。姉や兄とは違って私立の幼稚園。毎日お弁当だったらしい。おぼろげに記憶に残っているのは、楕円のアルミの弁当箱。お弁当の具は、炒めたものなど、簡単なもの。具は、ほとんど決まっているようなものばかりで、片手で数えるほどだったように思うのに。確実に入っていた、と言い切れるものは、ピーマンだけなのである。
ピーマンの、炒めたのは、美味しい。母は気になることがたくさんある質だったので、よく焦がす。としても、炒めたピーマンは美味しい。
ただ、不思議なのだけど、唯一食べなくて怒られた記憶があるのも、ピーマンなのだ。
「全部食べるまでだめよ!!!」
ピーマンを食べていなくて、怒鳴られ泣いて、嫌で嫌で今でも記憶に残っている。
今でも、唯一覚えているおべんとうの具。
怒られて嫌だった、ごはんのおかず。
そのどちらにも、ピーマンがいる。
わが子育てに立ち返る。今息子はピーマンもといパプリカを嫌がる。キノコも嫌がる。かたや、ピーマンを食べないことを怒り散らされた思い出のある私は、今や好き嫌いは全くない。
記憶なんていうものは曖昧で、怒られたあの時も大してピーマンが嫌だったわけではないかもしれないし、もしかしたら幼稚園のお弁当のピーマンも、よく残していたのかもしれない。
息子も、いつか食べるだろう。私が母に怒られた記憶があるように、息子も大きくなったら幼少期の記憶でああだこうだと言われてしまうかもしれない。
大人になっても、いつまでもちゃんとしていない私が。食べにくいと感じている食べ物をどうしても食べさせないといけないんだろうか。総合的に考えると、否だ。
大きくなったら食べられないものがあまりなくなって、不自由しない生活が送れたらいいなぁ、と願うのは私。そんなの私の期待に必ずしも沿う必要はないのは、子どもたち。
子供たちを注意するたびに、私は何を言っているんだろう、と自分の立場を確認する日々である。
そんな読書感想文。ここまで連想させる、向田邦子さん、すごいよ。
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