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『中森明菜の真実』を読み終えて気がついたら年表をつくっていた

兄が明菜のファーストアルバムを聴いていたじゅんぷうです、こんにちは。

当時、聖子派か明菜派かといったら
わたしは聖子派でしたが、
聖子派だろうが明菜派だろうが
トシちゃん派だろうがマッチ派だろうが
ベストテン歌手のシングルはもれなく歌える、
それが80年代という黄金の時代でした。

聖子ちゃんは1980年にデビューし
「ポスト百恵」としてトップアイドルに。
明菜は花の82年組
歌唱や作風から「ポスト百恵」は
明菜を指すようになり、
聖子ちゃんと人気を二分する存在に。

この本は明菜デビュー時からの
レコード制作スタッフや
宣伝担当者などの証言を集め、
制作からセールスやプロモーション、
賞レースなどの歌謡界の動きから、
当時の明菜の置かれた状況と
その変遷にフォーカスした内容でした。

現実的な証言集として読みながら
登場する数々の作品とオーバーラップさせると
とんでもないモンスターのような
ただの繊細な女の子のような
まだ終わっていない歌手の物語として
とてつもなく没入しました。
「花の82年組」とひとくくりで
語れるような物語ではありません。

明菜はオーディション番組「スター誕生」に
3回目の挑戦だった81年の7月に合格し
12月の決勝大会でデビューが本決まりに。

そこから本格的な準備が始まりますが
82年3月に小泉今日子、堀ちえみ、三田寛子
4月に早見優、石川秀美
5月にシブがき隊、伊藤さやか…
怒涛のデビューラッシュの中、明菜は
石川秀美とシブがき隊の間の5月1日。

デビュー年のプロモーション活動は
ほかのアイドルより一歩も二歩も
出遅れていたといいます。

というのも所属事務所の研音は
新興のプロダクションで当時は俳優メイン。
レコード会社のワーナーも外資系で
邦楽部門の実績はまだ浅く
バックアップ体制や業界内での力不足から
デビュー当時の明菜は
テレビやアイドル雑誌へのメディア露出が
極端に少なく、地方のレコード店や
ラジオ局を精力的に回り
地道に全国にファンをつくっていきます。

それでも業界内での認知度は低く
年末の新人賞レースでは
相手にされなかったという現実。
業界事情を知ればなるほどですが
新人賞獲っていなかったのが意外でした。

そうして作品づくりや宣伝も
試行錯誤しながらも
スターダムに上っていくその勢いというのが
読んでいても明菜という底知れぬ歌手の
覚醒、開花を今まで知らなかった側面から
感じることができて興奮しました。

で。12インチや企画盤をのぞくシングルを
デビューから1989年まで、
一覧にしてみたんです。
本の巻末に明菜史は掲載されていたけれど、
個人的にあのころ体感していた時代の空気、
ムードを再認識するには、と考えて
聖子ちゃんのシングルも並べてみました。

太字が明菜、ピンクが聖子ちゃん。
聖子ちゃんの「小麦色のマーメイド」は
10枚目のシングルです。

作家陣も一覧に入れたい…

聖子ちゃん休業までの、
このふたりのリリースのタイミングのせめぎ合い!

デビュー曲「スローモーション」以降、
来生えつこ・来生たかお姉弟による
バラード三部作と
コピーライターだった売野雅勇を起用した
ツッパリ三部作、この真逆なふたつの路線を
交互にリリースしていく。
作品性を重視しボーカル力をアピールしていく。
シングルのリリースの合間に
アルバムでも独自の作品世界を展開。

わたしは初期明菜の歌う世界の情感、
80年代後半の情念も
当時は苦手だったのだと思う。
大沢誉志幸作曲「1/2の神話」や
「サザン・ウインド」「ミ・アモーレ」
「TATTOO」「TANGO NOIR」
「I MISSED "THE SHOCK"」
90年代は小室哲哉の「愛撫」とか
躍動的でダンサブルな曲が好きでした。

「十戒」も好きだったけど、明菜自身は
ツッパリ路線はうんざりだったようで、
♪イライラするわあ~~~って
そのことだったのかもー!
「少女A」と同様、こんな曲イヤという怒りが
歌唱に滲み出て、それがツッパリイメージに
本物味を与えるという循環。

明菜が求めるのはアーティスティックで
ファッショナブルなボーカリスト。
「ミ・アモーレ」から担当した、
洋楽畑のディレクターと価値観が合い
・歌う兼高かおる(旅がテーマ)
・歌謡曲の王道
・新しいことへのチャレンジ

この3つを軸に作品づくりをしていたそう。

1989年、時代は昭和から平成に。
聖子ちゃんはサン・ミュージックから独立、
明菜はあの一件で1年間活動休止、
研音から独立しました。

表現の違いなだけで
聖子ちゃんも明菜もトップアイドルであり
トップシンガーだと思ってます。

わたしはやっぱり今でも「難破船」とか
聴いていられません。つらくて。
ここまで感情の揺れを歌に表現できるのかと。

82年組という枠をのぞいても別格だった
歌手・中森明菜が覚醒していく過程、
それはまさにスター誕生物語でした。

もし今の時代にデビューしていたら
その在り方も違っていただろうな。

1982文字で失礼します。


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