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脳みそ落語になっており。
北陸に都会のゲンキを持ち込みたい、と考えたとき、
落語はアリだぜと思ってみたり。
地方には高齢者が多いから? それもあるんだろう
けどポイントはそこじゃないんだよ。
江戸落語。それこそ東京の文化の一端なんだし、東
京人でもろくに知らない江戸の世界へ踏み込んでい
けるもの。東京ついでに寄席を覗いてみるのも楽し
いはずだよ。
えーとですね、それはそうでも、そこにイッコ問題
がありまして、落語は聞き慣れないと面白みがわか
らないものでもあって、現代人にとっては、ちと難
しいわけですよ。
笑えないものはつまらない。何でもアリなバラエテ
ィ番組に洗脳されたショートカット発想が主流のい
ま、落語は、ごく一部のマニアの世界になってしま
った気がするよ。
江戸時代につくられた噺を古典落語、明治以降のそ
れを新作落語と区別するようだが、明治にできて新
作ってさ、百年以上も前のことじゃんか。
古すぎるんよ。古すぎて何もかもが忘れ去られた世
界なんです。
『へっつい』って言葉を『カマド』に置き換えたと
ころで、カマドなんて見たこともない。それどころ
か『七輪』知らない『練炭』知らない。『キセル』
なんかもそのうちで、まるで何も知らないわけです
ね。
この世にないんだもん、しゃーないわけで。ハイ。
えー、落語ファンてね、いずれにしろ年齢層が高い
んですよ。ま、五十代以降がボリュームゾーンなの
でしょうが、いま五十歳の人でも『カマド経験』の
ある人は、そうそういないと思ってよろしい。
落語の本場、東京でさえそうなんだから絶望的に思
えるんだが、じつは田舎はそこが違う。
東京でガス湯沸かし器が当然の時代、田舎には『五
右衛門風呂』が残っていたし、七輪・練炭なんて普
通に見かけるものだった。
古き良き時代になじみやすいのは、じつは田舎の人
たちなんですね。
さて、噺家さんの立場になってみるとです、次の世
代へどうアプローチしていくかは死活問題だ。
五十代~六十代~七十代、やがて人は去っていく。
そうすると、その下、三十代~四十代にウケておか
ないと先細りになってしまう。
そこで創作落語のチカラだよ。令和作の新品落語と
いうわけです。
江戸時代を描くなら、それもヨシだが、『令和の言
葉&令和の時流』もしかしたら『未来の世界』もガ
ンガン盛り込み、現代人のショートカット発想にソ
ク響く噺を書いていきたいと思っており。
ま、落語作家ではなし、まだまだ落語を書くなんて
言えたレベルじゃないんだけど、まずは勉強。そこ
から俺なりの笑いをつくって、地方にバラまいてい
きたいわけだよ。やみくもに東京を目指せばいいな
んて時代は、まもなく終わる。
地方にとどまり東京を笑ってやろうじゃないか。
なんてね、そのぐらいのエスプリを秘めた噺にトラ
イしていきたいな。
えー、落語にはすでに数限りない噺があって、もち
ろん読み込んでみたりはするのですが、知りすぎて
もよろしくない。インプットを少なく、アウトプッ
トを数多く。
でないと、どうしたって類型にハマってしまって新
しくないんだね。とんでもないアイデアこそ素人の
本領発揮でプロには考えつかないもの。
そこなんですよ大切なのは。落語をつくるだけなら
噺家さんたちは、それこそプロだ。ですからね『噺』
をつくるのではなく『世界』を仕掛ける。
突飛でおっけ。そう思うから、とんでもない世界を
いくつも考えストックしている。
俺はそのへんバカなんです。うん、かなりなバカ。
『世界そのものを発想する』という発想は、じつは
小説を書くときにも使い回せるチカラだと思うんで
すね。それはエッセイを書くときにも。
書こうとするとき、何を書いても書き損にはならな
いものだと思うから。