24歳、鬱病になる。ー<73>新たなステップ
私24歳にして、今年2023年の1月に鬱病と診断を受けました。
鬱病になった私に起きたことや、そこから立ち直れるにようになるまでの姿を、自分なりに整理して、書き起こしてみたいと思います。
自分のために、そして同じような境遇の人の何かの一助になればよいなと思っております。
前回の記事では、苦心しながらも、なんとか小説を執筆し終えたことを書きました。今回は、その後のことを書き記していきたいと思います。
・・・
小説を書き終えたことは、良い区切りとなりました。執筆を終えたことで変に燃え尽きるわけでもなく、逆に「いつまでもこんな生活を続けるわけにはならない」という気持ちで、お尻に火が点いてきました。
ということで現状を変えようと、私はこれからのことをより具体的に描いていきました。1つの案は「大学に戻ること」でした。しかし、大学院に行く費用のことのは頭の痛い話でした。とりあえず、その案は保留にしました。
別の案は、「再就職すること」でした。しかしこれも億劫でした。辞めた会社への想いは吹っ切れていましたが、働いていた頃のトラウマはまだ色濃く私に残っていました。再び会社員として週5で働く姿を私は描くことができませんでした。
残された案は、「翻訳家になること」でした。これが最も惹かれた未来でした。ネットで検索すれば、”翻訳学校”なるキャリアパスが明確に描かれており、「これならいけるのでは?」と思えてきました。費用も、確かにそれなりにはしますが、大学院進学ほどかかるようなものではなく、働いていた時の収入を当てればなんとかなくようなものでした。
「やってみよう!」と思いました。すぐに社会復帰を目指すよりも、翻訳学校で週に1回の授業をこなしながら、身体の回復にも努めていくことが最良の時間の過ごし方にも思えたからでした。
そうと決まれば、どの学校に入るかです。学校のほとんどは全てオンライン授業で展開されているので、立地の条件はすべてクリアしていました。問題は、種類です。翻訳と一言でいっても色々あります。書籍の翻訳を行う「出版翻訳」、映画やドラマをはじめとする映像作品の翻訳を行う「映像翻訳」、企業や研究者のための文書を翻訳する「産業翻訳」。
やはり一番惹かれたのは、「映像翻訳」でした。映画好きであれば、そこに惹かれないわけにはいきません。「字幕を作る」というのは、考えただけで楽しそうに思えました。
調べてみれば、映像翻訳に特化した翻訳学校を見つけました。映像翻訳に限らず色々な翻訳形態をクロスオーバー的に学べる学校もありましたが、色々詰め込みすぎて苦しくなるより、1つの専門分野に特化する方が私の性分には向いている気がしました。なので、映像翻訳専門の学校のオープンスクール(といっても、形式はオンライン上での説明会兼体験授業)に申し込みました。
やっと動き出したように思える自分の将来について、私は俄に心躍らせていました。
記事のバックナンバーなどは、こちらのマガジンでまとめていきます。