【23.水曜映画れびゅ~】"Silence" ~「神の沈黙」という永遠のテーマ~
"Silence"は、2016年公開されたマーティン・スコセッシ監督作品です。
あらすじ
原作『沈黙』
本作の原作 遠藤周作の『沈黙』。
カトリック信者であった遠藤氏はキリスト教を主題にした作品を多く残しており、『沈黙』もその代表作の一つです。
島原の乱が起こって間もない江戸時代を舞台にしたこの作品。
キリスト教禁止令下にあった当時の隠れキリシタンたちの苦悩と、それを弾圧する幕府の非人道的な行いを残酷なまでにありありと描いています。
私も読みましたが、読み終わるのにかなり骨が折れました。
巨匠 マーティン・スコセッシ念願の映画化
その『沈黙』は、篠田正浩監督により1971年に『沈黙 SILENCE』として一度映画化されています。
それから45年を経て、ハリウッドで再び映画化されたのが本作。
そのメガホンをとったのが、ハリウッド界の巨匠 マーティン・スコセッシでした。
『タクシードライバー』(1976)、 『グッド・フェローズ』(1990)、『ディパーテッド』(2006)、 『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)、『アイリッシュマン』(2019)…
このように代表作を挙げれば山ほど出てくる"生きるレジェンド"。
そんなスコセッシ監督にとって本作『沈黙 -サイレンス-』は長年温め続けた企画だったようです。
スコセッシ自身修道士を目指していた過去があるらしく、並々ならぬ思いで本作に取り組んだとされています。
生前の遠藤周作とも会談したとされ、原作に忠実であるとともに小説では伝わりにくかった細部も見事映像化したとされています。
神の沈黙
原作『沈黙』、そして映画『沈黙 -サイレンス-』…
そのタイトル通り本作で一貫して描かれているのが「神の沈黙」です。
主人公のロドリゴ修道士は禁教令下の日本でひどい扱いを受ける信者を目の当たりにするとともに、自らもその弾圧に苦しみます。
当初は同じように虐げられてきた主イエス・キリストと自らを重ね合わせ、必ず主が手を差し伸べてくれると信じて耐え続けます。
しかし一向に救われることのない自らの境遇を省みて、次第にその想いにも変化があらわれます。
そして、こうつぶやくのです…
「なぜ、黙っておられるのですか」
ロドリコは「神の沈黙」を問い始めるのです。
この「神の沈黙を問う」ということは、「神の存在を疑う」ということではないのかと思います。
そして「神の存在を疑う」ということは、「これまで自らが信じてきたすべてを疑う」つまり「自らの生き方の否定」につながるのではないでしょうか。
本当に神はいるのか、もしいるのなら「なぜ、黙っておられるのか…」
そんな鬼気迫る自問自答に、心が揺さぶられました。
また「神の沈黙」というテーマは、一昨年からNetflixで配信されている『2人のローマ教皇』でも語られる場面がありました。
この二作はキリスト教の映画ではありますが、キリスト教に限らずすべての宗教に共通するテーマの一つだと思われます。
そしてそれは答えのない永遠のテーマであるともいえます。
日米実力派俳優の共演
本作の主演は『ソーシャルネットワーク』(2010)、『ハクソー・リッジ』(2016)などの演技で高い評価を得ているアンドリュー・ガーフィールド。
『アメージングスパイダーマン』シリーズでのピーター・パーカー役としても有名な彼ですが、本作のために大幅な減量して劇中では別人のようになっています。
さらにガルペ神父は『ブラック・クランズマン』(2018)や『マリッジ・ストーリー』(2019)での高い演技力が注目を集め、オスカーに最も近い俳優の一人とされるアダム・ドライバーが演じています。
本作での演技も「さすが」の一言です。
そして日本からは浅野忠信や加瀬亮といったハリウッド経験者とともに、イッセー尾形と窪塚洋介など個性派俳優がハリウッドデビュー。
特にイッセー尾形の演技は印象的。
世界的に高く評価されました。
最後に
なかなか重たいテーマであるのに加え、宗教的価値観の薄い日本人には敬遠されがちな作品だとは思います。
また米国でも、評価は高いもののヒットはしなかったようです。
それでも、私はこの作品を作る意味は大いにあったと思います。
「なぜ、遠藤周作がこの作品を世に残したのか?」
「なぜ、スコセッシはその意志を継いだのか?」
この作品の根底にある作り手の熱意を考えると、この作品の大きな価値が見えてくるような気がします。
前回記事と、次回記事
前回投稿した記事はこちらから!
これまでの【水曜映画れびゅ~】の記事はこちらから!
次回の記事では、今泉力哉監督の最新作『街の上で』(2021)について語っています。