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瞑想が教えてくれたもの

かれこれ毎朝の瞑想を続けて5年が経つ。

5年前、家に帰ればテレビをつける。

出かけた時にはスマホを見る。

仲間と飲みに出かける。

仕事して、また飲んで、テレビを見て、スマホ触って。

、、、この先もずっと同じことをやるのかな?

漠然と頭をよぎった。

急に恐怖と不安と寂しさに襲われた。

このままじゃダメだ!このままじゃ嫌だ!

なぜか理由もわからないまま、

私の中でモヤモヤした感情が動く。

いろんな情報を仕入れては、いろんなものをみる。

いろんな人に会いに行く。

仕事も勉強も気になるもの全て手を出した。

毎日、一生懸命もがいた。

とりあえず、行動してみた。

気になること、やってみたいこと。

なんども、行ったり来たり。

時間がどんどん足らなくなった。

横に広げれば広げるほど、何も得ていないような感覚になった。

昨日言っていたことが、今日は違っていた。

昨日続けようと思ったことが、今日は違うことをしている。

自分の軸が全くなかった。

ブレて、ブレて、またブレて。

自分に対する信用も、どんどん奪われるような感覚だった。

無力感に襲われた。

周りと比べる自分がいた。

不安も恐怖も消えなかった。

だけど、そんなある日

お墓参りに行った。

親からも、誰からも言われる訳ではなく、

毎年、お墓の掃除と手を合わせることは自分の中で決まりごとだった。

飛行機で実家に帰るのも、一番の理由はご先祖さまに手を合わせること。

その日、お墓の前で手を合わせた。

目を閉じ。

ゆっくり呼吸をし。

ご先祖さまに感謝した。

会ったことのない、おじいちゃんおばあちゃんの、その前のその前の方々まで。

なんとなく、会話が始まった。

「ご先祖さま、今の私があるのはご先祖さまのおかげです。ありがとうございます。」

たくさんの人がこっちを向いている。

「やりたい事をやっていい。一生懸命楽しんで、あなたができる事をしてあげなさい。よく頑張ってるよ。見守ってるからね。」

こんな言葉を聞きながら、閉じた目から涙が出ていた。

忘れていたこの感覚。

いつも手を合わせる時、静かな気持ちになっていた。

なんとなく会話をしていた。

ご先祖さまの声なのか、自分の中の自分の声なのか。

次の朝、

私はテレビを付けなかった。

スマホも見ずに、起きたての布団をたたみ、

トイレに行き、コップ一杯の水を飲んだ。

静かな朝。

ゆっくりと座る。

目を閉じて、静かに呼吸をする。

ゆっくりと、大きく。

呼吸を感じ、鼓動を感じる。

自分の肉体と地球と、宇宙が一体になった感覚。

静かに不思議な空間に包まれる。

何か心地よいエネルギーが身体をめぐる。

時には声が聞こえる。

自分の中の自分と、ゆっくりとした会話が始まる。

冷静に自分のYesが聞こえる。

感謝すること。

どんな自分でいたいのか。

自分の思考。

価値観。

全てが客観的に、冷静に見えるようになった。

気持ち良く、1日のスタートを迎えることができた。

いつも以上に感謝できるようになった。

ありがたいと思えることが増えた。

自分の軸が作られて行く感覚になった。

不安や恐怖が薄れて行った。

気持ちにゆとりが出来た。

幸せに包まれていることに気付けた。

今日1日がワクワクするようになった。

この情報社会の渦に、

囚われてしまっていた。

インターネットが普及し、情報の嵐に翻弄されていた。

自分がただ揺さぶられていたことに気付いた。

だけど、

瞑想を初めて、自分がいることに気がついた。

ブレなくなった。

楽しくなった。

いろんなことに気付かせてくれた。

私の人生が愛おしく思えるようになった。

朝の瞑想が沢山のことを教え、与えてくれた。

これからも私は瞑想を続ける。

もし、現状に悩みや不安を感じている人は、

ほんの少しの時間でもいいと思う。

リラックスしてみること。

自分の声に耳を傾けること。

空気を感じること。

ほんの1分でもいいから、瞑想を試して欲しいと思う。

きっとあなたの中に。

あなたがいるから。

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