義務教育を受けていた頃
今は近所のカフェから
この文章を書いております。
今回は特にテーマを決めずに
手を走らせる内容になります。
この何もテーマを決めずに
ペンを走らせる行為が好きなんですよね。
#ペンじゃなくてキーボード
自分の中でどこの着地点に到達するかわからない…
そして自分がこんなことを思っているんだなー
と新しい自分に出会えた感覚を覚えます。
以前もどこかでお伝えしましたが
「学ぶ」ことは
僕にとっては
ペンを持って勉強することも学ぶ行為なんですけど、
「学ぶ」は自分が広げられた感覚なんですよね。
ただペンを持って学校の授業に参加するよりも
手を動かして
実践してみて
自分が感じたことを受け止めて
自分が広げらることが僕にとって学ぶになります。
このただキーボードを打ってみる行為も
自分が感じたことを受け止めて
自分を広げることにつながるため
学ぶになるんです。
たぶん…
義務教育を受けていた頃
「学校」というワードが出たので
学校についてお話しさせてください。
僕が義務教育を受けていたとき
いわゆる陽キャで
一軍みたいな人でした。
自分で言うのも恥ずかしいけど…
勉強ができなくて
ただ明るいだけで生きられる場所が
学校だったんです。
僕の認識では。
学校は勉強する場所とかいいながら生きていける。
僕みたいな勉強ができなくて明るい陽キャみたいなやつ…
僕が陽キャになったのは
5教科の勉強がひたすら苦手だったんですよね。
5教科が苦手だったというよりも
学校の勉強システムがひたすら苦手だった。
僕は机にじっとして集中なんてできなくて
先生の話はどこの席に座っていても
自分の妄想の世界に入ってしまう…
足をもじもじして
立って動きたくなったりして…
宿題もちゃんとできなくて
いつも後回ししていました。
それが中学一年の4月だったから
エスカレータのように勉強が進む義務教育の
1段目に乗れなかった僕は
当然2年になっても3年になっても
高校に上がっても勉強についてこれなかった。
だって中学一年生の時点で
前に座って集中することができなかったから。
僕はたまたま
勉強ができなくても明るければ生き残れる
学校という閉鎖された社会だったから
当時は良かった。
でも学校以外ではそうではないのは当たり前。
僕は義務教育から離れてみて
ようやく自分に適した勉強の仕方がわかったんです。
こどもの頃から勉強の多様性があったら良かったのになー
と思っています。
それよりも
手を動かして
自分の感情を動かして
自分を広げられる
「学ぶ」ことを知っていれば
良かったなーって思っています。
ただそれを言っては仕方ないんです。
あと陽キャで生きてきて
学校自体は僕は楽しく過ごせたし。
でもやっぱりあのカーストのある
学校のシステムは良くない。
絶対に僕みたいなやつ(陽キャ)がいたから
学校の中で生きづらさを抱えていた人がいると思います。
僕の陽キャは義務教育から離れて
一変して
社会に出てからは
「生きづらさ」と向き合っています。
さてこの文章を書き続けて
20分が経過しました。
このあたりで終わらせていただきます。
今回は初めて僕の義務教育を受けていた生活について
書かせていただきました。
皆さんも今回のような
ただテーマを決めずに手だけを動かしてみると
ちょっと面白さを感じると思います。
僕も自分が陽キャだったのはなぜか、
そんな存在になったのか、
今回の"書き続けること"で知ることができました。
「勉強の多様性」って言葉も
初めてでてきた…
今回、このような記事を書いたのも
僕が運営しているメンバーシップ
「Nature&Me(ネイミー)」で
ジャーナリングについてのワークを始めたことがきっかけ。
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