阻まれる
離婚する迄は外資の会社に暫くいて、仕事を辞めてコロナ禍になり少し休んでまた働き始めた。
求人案件も少なく思うような仕事もなかなか見つからなかったけれど、それなりに探し偏頭痛と腰痛という二大持病も併発しながらやってきた。
キャリアとしては役員アシスタント歴が長く、そこに経理業務も加わったりして生活してきた。有難いことに、付いた役員は皆尊敬出来る方ばかりだった。相性も大事だとは思う。失敗や至らない事にも寛容で、ご容赦頂きながら仕事が出来た。
コロナ明けから仕事はテンポラリーを含め、数回変わった。
不思議な事に、ずっと働くつもりでわたしも先方も合意で始めるのに何故か続けられない。それは会社都合による事が大きく。
startup企業は、1人にかかる裁量が大きく、その人がいなくなるだけでチーム分担含めて体制がすぐ変わる。また、そもそもの組織の向かう方向も揺らいだり厳しくなったり色々だ。
入った時は良かったけれど、あっと言うまに古参の社員も含めて散り散りになってしまったところもある。入った部署自体が無くなってしまったりも。
会社は安泰だけれど、前任者が多忙すぎて顧みてくれない会社に嫌気がさし退職してしまい、引き継ぎなしで繁忙期を乗り越えなければいけない場面にも遭遇した。
目の前の事に誠実に向き合い進めようと心掛けているけれど、この時は多忙を極め低学年のこどもに向き合う時間が殆ど無くなり、ふと気がつくと半年間子供の爪を切っていなかった。
帰らない母を待つ間爪を噛み続けていた事に、本当に気づいていなかったのだ。
その現実に気付いた時なんのこだわりもなく、その職を手放した。
自他共に認める、一番会社が大変な時にいた季節労働者率高しできた。
自分の人生を振り返ると、低空飛行だという表現しか出来ないのだけれど、貰い事故があるタイプでもなく、昔台湾の人気の占い師に食べる事には一生困らない人生と占われた。
本当のピンチに陥る前に何とかやってこられたのである。
しかしこの数年、新しい仕事に就くたびに一から色々頑張らねばならない事が続き、人の感情に敏感な為その場所に慣れるだけで非常にエネルギーを使う事を繰り返している。
ストレスでやめてしまった人の隣にデスクがあった時は、辛いのが伝染するかの様にその方が来なくなるまでの2週間私自身も息が上手く吐けなくなり、辞めてしまう事になった人に知らずしてずっと背を向けていた。
それでも何とかやり続けてきても、如何しても先述の様な理由で仕事が、強制終了になる。
どうして、どうしてだ…?
事象には必ず理由があるものだから、生き方や選択に誤りがあるのかと思い詰めてしまう。
この先進むのに、次は何の選択をすればいいのだろう。
何に気づかねばならないのだろう。
立春迎える前夜に焦燥感に阻まれている。