不思議だったと思い出すこと
30年くらい前、ロシア語を学びに数ヶ月ウラジオストックという軍港街に滞在した事がある。
ソ連崩壊から10数年、物資も乏しく持参したスーツケースの半面はトイレットペーパーを敷き詰めるよう指示があった。
スーパーも個人商店が軒を連ねる商店街のようなものしかなく、品物もあったりなかったり。あおぞら市場でジャガイモを買い、炒めて食べたりしていた。
地続きに粗悪品を売りにくる中国人に間違われると危ない目に合うかもと、外出しないように学校の教員に言われた。
ラジオからはマイナス40℃の寒