アラフォーOLがキャリアについて振り返る 6
今日も一日お疲れ様です、おうちOLです(`∀’)ノ
私の家族も主人の家族も
今住んでいる関西圏なので、
私はこのお盆休みにどこへ遠出するでもなく、
まったり過ごしております。
休みが明日で終わりなんて、
あっという間で悲しい。
前回は、遂に私のペンネーム
「おうちOL | ゆる外資系リモートワーカー」に
1歩近づいたところまで書いてました。
ゆる外資系とOLってとこだけヒットしてますが、、、。
こちらに振り返りシリーズを1から
まとめていますので
よかったら覗いてください👇
今回は、外資系旅行会社に入社以降の様子について
振り返っていきたいと思います。
オペレーター時代
無事社長にキャラ採用?された私は、
早速研修期間を経て外国人観光客向けの個人旅行を
手配するオペレーターとなりました。
具体的に仕事内容を簡単に説明すると、
旅行に関わるすべての予約手配業務、たとえば
ホテルや交通手段(電車/飛行機/ハイヤー)の手配
体験クラスの手配(茶道、舞妓さんとの食事会、相撲部屋見学等)
ツアーの行程確認とサポート
ゲスト宛の旅のしおり作成
こんな感じですかね。
基本的に旅行の行程を組むのは、外国人チームの
セールス担当が行なっていました。
オペレーターは、そのセールス担当とペアになり、
二人三脚でツアーの作成・実施を行います。
この手配業務を行いながら、自分の担当する
ゲストが来日し、ツアーが走り出した際に
何か問題等あれば都度対応することになります。
所属していた会社は富裕層をターゲットにした
旅行会社でしたので、ゲストによっては
来日してからゲストのその日のご機嫌によって
全行程変更になることがありました。
現在進行しているゲストのわがまま ご要望に対応もしながら、先のツアーの手配もしていかなければならないので中々大変な時もありました。
大変なお客様ばかりではなかったですけどね。
考えてみれば、
ものすごい大金を払ってもらっているので
それなりのサービスは必要ですからね。。。
金にモノを言わせる環境って本当にあるんだ!
こんな金額の旅行代金を払える人が
いるんだってことに、毎度毎度驚いていました。
だって、
某五つ星ホテルを家族で3泊して1,000万とか
庶民からしたら考えられないですよ。
会社でのビジネスとしては、B to B でしたので、
そのホテルからの見積もりに
旅行会社からの手数料、さらにはゲストが依頼した
現地の海外エージェントの手数料が
加算されるのですから、
それはそれは恐ろしい金額になります。
(ホテルを例にしましたけど、他にも車代やら色々
かかるので、総額は、、、)
私は担当はしていませんが、アメリカの歌手
ケイティ・ペリーがお忍びで来日した時に
友人がツアーを担当しており羨ましかったです。
別の友人がガイドを担当し、ガイドにも関わらず
彼女が泊まる五つ星ホテルに宿泊していて
(もちろんケイティさんが払う)
こうやってお金って回るものなのね、、、と
納得しました。
この会社での働き方としては、
繁忙時期でなければ、有休の取得は自由でしたし
遅刻/早退も連絡さえすれば気兼ねなく可能、
同僚との関係もオープンで働きやすい会社で
まさに「ゆる外資系」と言えました。
ですが、いくら「ゆる外資系」と言えども
もちろん残業しなければいけない時期はあり、
繁忙時期の桜や紅葉シーズンは地獄だったようです。
「だったようです」と書いたのは、残念ながら私は
その繁忙時期を経験していないから。
入社して半年を過ぎた頃、あの感染症が
日本にもやってきたのです。
暗黒のコロナウイルス蔓延時代
繁忙期に向けて着々と準備をしている当時、
日本でも遂にコロナの感染が広まり、
ツアーのキャンセルや延期が相次ぎました。
それでも、従業員一同はもう少し待てば
その影響も収まり、観光業も徐々に
回復していくはずと思っていましたが、
予想と期待に反して
自体は悪化の一途を辿りました。
緊急事態宣言を経て、感染状況が収まらず
旅行もできない状況が長期間続いた結果、
とうとうこの会社でも派遣・アルバイトから徐々に
解雇に踏み切る決断がなされたのです。
派遣・アルバイトがいなくなり、
まだ契約社員だった私は、次は私の番だと
思っていた矢先
会社から経営陣と長年勤務してきたスタッフ以外
3ヶ月後までに職を探してほしいと
会社全体にアナウンスメントがありました。
またもや就活することに
せっかく業務内容も人間関係も
私にとってはパーフェクトな環境の会社に
入社できたというのに、なんということでしょう。
また1から就を探さないといけない状況になりました。
しかも、自分が携わってきた観光/宿泊業界は
軒並み採用をしていない。
そして、そもそも私が住んでいる県では
観光業以外で英語を使う仕事がほとんどない。
英語を使う仕事をしたいと思っても、
コロナで外国人観光客が入って来れないとなると
英語は必要とされていなかったのです。
ハローワークに足繁く通い、
全くの異業種でも良いので、英語を使う職場、
通勤1時間半以内で通える場所まで職探しの範囲を
広げました。
いくつか希望の職種が見つかっても、
私の貧弱な経歴のために書類が通らないという状況がかなり続いたので
焦る気持ちを抑えつつ、毎日職探ししていた覚えがあります。
自営業である主人のゲストハウスも
危機的状況でしたし気が気ではなかったです。
(政府からの支援があっても焼石に水状態でしたので。)
夫婦二人とも観光業ではマズいなと真剣に
職種をどうするか迷いました。
履歴書を何通も出して、不採用の連絡が続くと
「自分は需要がない。今までやってきた経歴なんて
なんの役にも立たないんだ、、、。」と
落ち込むこともありました。
ですが、その時に面接の練習や
履歴書の添削を頼んでいたハローワークの職員さんに、非常に助けられ、勇気づけられました。
余談ですが、客観的に履歴書添削や面接の練習を見てもらうことって本当にタメになりましたよ。
むしろ私の場合は転職エージェントより、
ハローワークの担当さんの方が、
よっぽど親身に対応してくれて助かりました。
そんな時期を経て、遂に書類審査を突破!
自宅からドア to ドア で1時間半、
ベンチャー企業ではあるものの設立10年、
医療機具製造/輸出入販売を行っている会社です。
早速筆記試験と面接に向かうことになりました。
長くなりましたので、今回はここまで!
結論を先に言うと、この会社に無事合格することになるのですが、次回はこの医療系会社の面接の様子と、入社後苦労した体験についてフォーカスしたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
略歴は自己紹介記事に書いてますので、
気になっていただいた方は読んでいただけると
嬉しいです👇
それではまた!