叶うタイミング
私が人生で一番「きゃっきゃ」していたのは、20代の後半の頃だ。
職場に仲良しの女の子がいて、仕事終わりにはしょっちゅうその子とマックとかミスドとかで、延々とくだらない話をしていた。
それが、ただひたすらに楽しかった。
まるで中高生のような話だが、実際に学生だった頃の私にはそんな日常はなかった。
そして、そんな日常がなかったことを、悲しく思っていた。
幼い頃、私はセーラームーンが大好きだった。
ほとんどの人が知っているであろう、ティーンの女の子たちが悪と戦う話だ。
彼女たちは正義の戦士だが、普段は学校に通う普通の女の子たち。
放課後には連れ立ってクレープを食べたり、休日にはオシャレをしてショッピングに行ったりする。
学生生活というのは、そういうきらきらしたものなんだろうと、私の憧れは強かった。
でも実際は違っていた。
中学生の頃は、繁華街に友達と行くことは全くなかった。
みんな部活で忙しかったり、塾で忙しかったりして時間が合わなかったし、そもそも校区外に学生だけで行くことは、校則で禁止されていた。(私たちは校則を破ることを好まなかった。)
高校、大学にあがるともっと自由度は上がったが、私が仲良くなった子たちは、なんというか、そんなに浮ついていなかった。
授業後はそれぞれバイトに行ったり、自習したりしていて、余計な時間の使い方をほとんどしなかった。
もっと浮ついている子と仲良くなればよかったのでは?と思われるかもしれないが、浮ついている子たちは、浮つき過ぎていて、あからさまに話が合わなかった。
要するに、私にとってちょうどいい感じに浮ついている子とは、出会わなかったのだ。
それがまさかの、20代後半になって出会うことになった。
一般的には、結婚して家庭持ちになっていたり、なにかしら人生が落ち着きつつある女性が多くなる年齢だろうが、私たちはどちらも違っていた。
未来がかたまっていない自由気ままな身分で、無邪気で、幼さを残していた。
彼女は華やかな容姿をしていて、きっと私が憧れていたような学生生活を送っていたんだろうなと思っていたが、
本人いわく、女子からちょっといじめのようなことをされていて、保健室通学をしていた時期もあったらしい。
彼女の方にも、昔の消化しきれていない思いがあったのかもしれない。
私たちは自分たちでも「学生みたい」だと思っていたし、就業後のことをふざけて「放課後」と呼んでいた。
休日も一緒に過ごすことが多かった。ショッピングしたり、イベントに出かけたりもしたが、ただ喋っていることのほうが多かった。
なのに、無限に話ができた。
話の内容に意味なんてなかったけど、意味がなくてもただ純粋に楽しくて仕方がなかった。まぎれもなく、きらきらしていた思い出。
人との出会いはコントロールできないから、思いがけないタイミングで叶うこともある。
だから多分、人生は奥深くて楽しいんだと、時折その頃を思い出して考える。
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