好きなものほど当たりが強いという話
好きなものほど体は受け付けない。
ニコチン然り、カフェイン然り。
タバコもコーヒーも好きなのに体は拒否する。
コーヒーは日に4杯、タバコは日に6本も吸えば体が拒否をする。
コーヒーを飲みながらタバコを吸っている時間が至福のひとときであるにもかかわらず。
人には予めカフェインに強いとか弱いとかニコチンに強いとか弱いとかそんなことが決まっているらしい。難儀だ。
普段が水か、緑茶か、コーヒーかという生活をしている僕には極めて都合が悪い。水以外はカフェインを含んでいる。
そんなことを言っても緑茶は日本人の心だろうし、コーヒーは安らぎのひとときであるわけだから飲む。
そして体調を崩すという堂々巡り。
好きなものからは逃げられないし逃げたくないみたいなことを言いながら手足が冷えるのを感じる。
しばらくして収まると確実に眠れなくなっている。
ひどい悪循環。
甘いものも好きだけど、砂糖を摂りすぎるとしっかりと太るし、難儀だ。
好きなものほど、あたりが強い。
人間も好きだけど、人からは強く当たられることのほうが多い。挫ける。
最も、僕が人を失望させるのが非常に得意だと言うのが理由にありそうではある。
得意というか、失望されてしまうことが単に多いだけである。
僕だって人だ。
そういえば昔、「君も人なんだね」と言われたことがある。
当たり前だ。僕は人であってそれ以外の何物でもないと思う。もしかしたら違うのかもしれないけど。
君も人だろうに。
頼られて、失望される悪循環。
難儀だ。
生き辛さの向こうは所詮別の生き辛さなのだろうと高をくくっている部分があるような、そういう感じ。
そう簡単に生きづらさを解られて堪るかと言うようなそういうある種誇っているような、寂しさみたいなものを抱えながら。
風当たりが強いほうが興奮するみたいなことを言われると興が冷める。
自分もきっとそうなのにもかかわらず。
人間は好きだけど、君は嫌いみたいな。そういうことを言われると心が荒んで行く。よくよくあることではあるのだけど、結局それが怖くてたまらないんじゃないかみたいな。
そんなことを考えるのがとても好きなのだけど、心がすり減っていくような感じを受ける。
好きなことほど当たりが強い。
そういえば難儀と言うのは相当に苦労するみたいな意味があるみたいだけど、僕のいう難儀は非常に軽い意味合いであるということを付け足して置きたい。