母は手負いの虎だった10 「いのちの居場所はどこにあるのか」
絶望の末に高飛びした東南アジアで、流れでストリート青年の里帰りをサポートすることになり、故郷の村に着いたら「おしん!」と呼ばれたところからでの続きです。
まず、座る間も無く小学校へお招きされました。
まー!かわいいかわいい!!
テンション上がる!
波止場で見た子ども達を思い出すと胸が詰まるほどの、満面の笑顔と好奇心でわたしを取り囲む子ども達。
ちびっこたちが「おしーん!!」って騒ぎながら、わたしの周りを埋め尽くし世界的大スター並みの構図で写真撮影ですww
今の日本について一言!いろいろ質問したい!と言われて。子ども達からバンバン声があがる。
「今も日本におしんみたいな暮らしはあるのか?あなたは、おしんとはかなり違く見えるけど??」
と言われ。。。
もー!w
どこまでおしん基準なの???w
「あれは、かなり昔の日本の話でね、今、違うよ。川で洗濯はしてないかな。日本は全部が雪国ではないよー。」
とか無難な答えをしていましたが。
本当はみんなそんな事を聞きたいわけじゃない。
「日本では貧困から子どもを手放す事はもう無い、裕福で平和な国になったんだよね?」
「私たちも勉強がんばって日本へ行ったら、ここよりはちゃんと裕福になって親や兄弟へお金送ったり出来るのだよね?」
そんな質問に。
どう答えれば。
残念ながら、日本の闇は、もっと見えづらい、わかりづらい。
闇を見たく無い素敵な一般常識人に葬られた辛い人たちが、密かにたくさんいる。
わたしもその1人だ、と。
とても言えない。
彼らにとっては、飛行機代を払って異国から来られるだけでも、夢の人生なのだから。
わたしが絶望していようと、わたしと仲良くなって日本にツテが出来たら、自分も村の、家族の、希望の星になれるかもしれない、と淡い期待をしている気持ちは痛いほどわかる。
でも。
わたしには、自分と実の弟を救うだけの力さえ無い。
せめて。彼らの希望を守ろう。
「日本は敗戦国で、世界で唯一原爆が2つ落とされた国で。とても厳しい時代があった。でも、今は、清潔で、病院にもすぐにかかれるし、学校にも行ける。仕事も何かしらはあるし、食べ物もすぐに買える。ただ、家賃だけは高くてみんな困ってるよ。」
と日本の構造を軽く話してみる。
全てがコンピューターで制御された、キラキラの未来都市。そんな風に思っている子もいた。
君たちの国の中にも、そんな風景はあるんだよ。
でも、自国ではとても無理だから、日本へ行ったらもっと簡単に優れた状況で成長出来るって期待。
なんだか。今の日本に漂う空気と似ている。
わたしは、彼らの自然に埋もれるような暮らしは、羨ましく感じる。無い物ねだり。
「忍者いるの?」「侍は学校で習うの?」とかの可愛い質問もあった。
ちびっこたちとのお別れの時には、全校生徒が道を作って拍手で送ってくれました。
相当、疲れ果ててますがその足で村長のお宅に伺い、歓迎の宴です。
村人が大勢集まり、ご馳走が並んでいる。なぜか、説明つかないバツの悪さがほのかにつきまとう。
真っ黒に日焼けして、髪の毛はもじゃもじゃで、安っぽい服を着て、絶望してて、死ぬ気の19才。
そんな、知識も救いもない日本人が今、この村にとっては日本代表として、もてなされています。
ずらりと並ぶご馳走に、嫌な予感がするのですが。
鶏とか、絞めてないよねっ?!
ほんとやめて、こんなしょうもない人のために動物の貴重な命つかわないで(涙)
と祈りましたが、時すでに遅く。
鶏さんが数羽、尊い犠牲になっていました。。。
絞めてしまった以上は、綺麗に食べ尽くさないと。血肉として命を循環しよう。
ここまで歓迎してくださるお気持ちは、本当に嬉しくて感謝で。でも、自分が受け取る器ではないと感じていた当時のわたしだったので、素直に喜べず、内心、つらい。
食欲なかったのですが、笑顔で食べきりました。
またもや、村長の隣に座って、村人に囲まれて記念撮影。
嗚呼、しばらくの間は記録されるー。この奇妙な絵面がー。
くったくたです。
母と息子の涙の再会だけのはずが。日本人初登場祭りになってしまいました。
しかも、日本人に見えない、死出の旅の奴が代表として挨拶してしまいました。
宴が終わり。青年の再会も、まだまだ一緒の過ごす時間が必要でしょうから、すぐ帰るわけにもいかず。ホテルもなく。青年のご実家に泊まることになりました。
「くたびれたでしょう。お風呂入りなさい」と言ってくださる青年のご家族。
風呂場に案内されて、たじろぐわたし。
裸電球がひとつ付いた、茅葺の小屋の真ん中に、井戸だけがある。
おばけとか怖く無いタイプなのですが、あまりにも意外すぎて不気味です。
井戸から水をくみ上げて、浴びる、って事だそうです。
お水があるだけありがたいですね。ただ、沸騰してからじゃないお水は口に入れ無い方がよいかもしれません。
口を真一文字に閉じて、薄暗い小屋で井戸の水を頭からかぶっている自分が、エセ修行でもしているみたいに思えて、ちょっと滑稽に感じて。
竹のベッドの上に敷いたうすいマットの上で横になり。
ジャングルの音を聴きながら。足元を走るヤモリの目を見つめながら。
日本ではひとりぼっち。
異国ではもてなされ。
今、自然の音に包まれて、お香の香りが風に乗って流れている、今夜この時。
人生は冒険であり、祭りであり。不思議だなぁ、と改めて思いました。
【異国の青年の実家で気づいた】
生まれてからずっと。壊れすぎた自分の居場所は、どこにもないと無意識に諦めていた。
でも、本当は、全ての生物にとって、地球全体どこでも居場所なんだ。
波止場の子ども達も、どこへ行ってもいい。
何が出来なくても、地球はそこで生まれた生物の居場所。
何にも縛られず。地球全てを居場所として生きる自由を、自ら狭めてはならない。
どこにいても。命は生きようとする。どんなに絶望しても、空には鳥が飛ぶ。夜には虫が鳴く。
今夜のわたしの居場所は、竹ベッドの上。
自分もそんな命のひとつである、内なる安堵に浸る時間があってもいい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?