母は手負いの虎だった7 「お母さんに会いたい人とジャングルを超えていく旅」
母の暴力暴言、猟奇的行動に疲れ果て。
父の無鉄砲な突き放しと逃避っぷりに呆れ果てた私が、死出の旅として東南アジアへたどり着き。
なぜか、ジゴロ青年達のカウンセラーになって、日々、ボディガードが付いてくれる様になった所からの続きです。
現地語と日本語ごちゃまぜの、変な言語でトークをしている私は。
現地の人並みに黒く日焼けしていて。
髪型はスパイラルパーマ(昔の電話のコードみたいなの)
服はその辺のすごい安いペラペラTシャツやワンピース。
周りにはいつもジゴロ君達。
屋台では現地民価格。
屋台喫茶のマスターはコーヒーご馳走してくれるし。
もう完全に国籍不明ですw
なんかそれだけでも、ちょっと来た甲斐がありました。
日本人女性の観光客が、わたしが日本人だとどこかで聞いて。
ある日、相談があると恐る恐る訪ねてきました。
「こんな特徴のジゴロ君が、わたしの時計を持って行って返してくれない」
これだけの貨幣価値が違う国にお邪魔するのに、高級時計してくるのは危険度を自ら増してるなぁ、、、と思ったけど、この彼女にとってはリゾート旅行だもんね。言わないでおく。
話を聞いて「その特徴からするとあの彼だな」と見当をつけて尋ねてみまして。
「時計返しなよ。ジゴロしか生きる方法がないなら、女が喜んでプレゼントしてくれるくらいの男になって、気持ちよくもらえ。盗むんだったら、もう二度と口聞かない。きらいになる。」
って言ってみたら、テヘペロ的な笑顔で返してくれましてね。
うん。よかったよ。
でもさ。
私は、ここで何をしてるんだろう。
そんな仲裁が何件か起きて。
めんどくさくなっちゃって。
高飛び先でも色々うんざりしてきちゃって。
山奥にでも篭ろうかな、、、と思い始めていた頃。
ある一人のジゴロ君が
「もう3年以上、お母さんに会っていない。会いたいなぁ。。。」
と泣いてて。
聞けば遠いジャングルの中にある村で。
まぁいいか。
近くは観光地がいくつかあるし。少しは風景を見るのもいいな、と思って。
「行ってみようか。お金は出来るだけ出すから。」
と言ったが早いか。ジープ借りてきてw
5人1部屋のバックパッカーの宿に泊まりながらの、ジゴロ君里帰り旅がスタートしました。
本当に嬉しそうで。
まず市場に行って、おやつを山盛り買い込んで。車の中でかける音楽も買い込んで。
周りのジゴロ君達も、涙ながらに見送りに来てくれて。
なんか、素朴だなぁ。親に会いたくて里帰りしたいって、幸せなことだなぁ、って彼らを見ながら思いました。
ちょっとうらやましいくらいだよ。
わたしはただのスポンサーだったかもしれないけれど。
こんなスポンサーになれるなら、19才にしては良き体験だな、とはしゃぐ彼らを見ていました。
村に着くまで2日かかるって知らなかったけども!
別に急がない。息子が母親に会えるだけでいいんだものね。
出発の時は、そんな穏やかな気持ちだけで出発しました。
穏やかなだけでは済まない旅となるとは予想せずに。
8へ続く。