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昭和100年〜錫の勾玉〜②
2.昭和50年頃の高度成長期と昭和100年現代
みぞれ混じり雨が降ってきた。米子市埋蔵文化財センターは、福市考古学資料館と連携しながら旧日新小学校跡を利用している。福市考古学資料館から少し脇道を通り、小高い山の上にある。慣れるまでは、道に迷って周辺を散策することになる。古代人も走り回っていたのだろう。迷った悔し紛れに思った。
余談だが、連携している福市考古学資料館に、発掘された縄文時代の犬の糞(糞石)があって驚いた。近隣の米子駅裏の目久美遺跡の遺物だ。縄文時代に犬は狩猟の相方だったようで、丁重に葬られていることもあったそう。犬が解体される痕跡は、大陸渡来人が入った弥生時代以降らしい。骨格で山陰柴犬や縄文柴犬を想像ができ、思う当時の姿を愛でた。糞石が残るくらいに状態の良い遺物が山陰に眠っていると思う。鳥取の青谷上寺地遺跡もそうだ。時々、小高い山全部が古墳に見える錯覚に襲われる。特に南部町…。
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そういった発掘の遺物を、米子市埋蔵文化財センターで分類や復元、展示・活用などしている。
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遺物破片ひとつ一つに情報が書き込まれている
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復元し出したら徐々に巨大化し始めた遺物
昔、時々、過去の遺物や考古学に対して冷遇な言葉を聞くことがあった。昭和の高度成長期だったと記憶している。この頃は、文化的価値(過去から現代未来を学ぶ)よりも、徳川埋蔵金や物質的価値を大人は求めているんじゃないかと幼いながら思った。
いまでこそ東京都はクリーンなイメージだが、昔の多摩川に双頭のオバケハゼが生息したり、光化学スモック警報多発のため、昭和50(1975)年頃すでに小学校教室へクーラー設備が導入されたりという状態だった。同じ頃、岡山県倉敷市の楯築遺跡では、宅地造成工事のため遺跡の突出部が破壊されてしまった。
幸か不幸か、竹下首相が誕生した時に山陰新幹線ができるとの噂がウワサだけで着工されず、ある意味で山陰は未開発で終わった。また、ゴルフ場開発なども山陰でも拡がったが、妻木晩田遺跡は「むきばんだ史跡公園」として守られた。
「もしかしたら、日本の始まりの始まりが山陰に眠っているのかもしれないな…。今だから科学的に解析できることも多いかもしれない」と米子市埋蔵文化財センターの遺物破片を見て感じた。
そして「何かに護られているようだ」と思った瞬間、妻木晩田遺跡の遺構展示室の「銅鏡」の遺物が脳裏に浮かんだ。古墳ではなく、不思議な事に住居跡に遺されていた銅鏡だ。とにかく山陰は古代の謎が埋没しているに違いない。
今回の博労町遺跡も予期せずして遺物が大量に出土し、米子市の成り立ちに光を当てているらしい。鳥取県立米子工業高等学校・米子市立啓成小学校の改築工事に伴って発掘された。また近隣の「錦町第一遺跡」も旧鳥取県立米子西高等学校(現在ふれあいの里)から古墳が発見されている。もしかしたら、「公共機関の場所に重要な遺跡が…?」と思っているところに、山陰道工事中の鳥取県湯梨浜町で「長瀬高濱遺跡」の囲炉裏跡や遺物など多数発見された。実はこの長瀬高濱遺跡も昭和49年に発見されており、2024年の発見50周年で四半世紀ぶりの令和発掘調査での大発見だった。
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※この後、囲炉裏跡が発見される
昭和100年の令和7年は、山陰で何かの発見があるのだろうか。なにかリーチ感がした。「過去から学ぶべきことが見つかる」報道があるのではないかとの期待だ。そのような期待を想像しながら、師走の小雨の中、米子市埋蔵文化財センター前で、型取り作業待合せのメンバーを待った。
(続く)