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昭和100年〜錫の勾玉〜①

1. 弥生時代の異形勾玉との出逢い

 2024年師走。このカレンダーの最後一枚に「昭和99年」の文字を見つけた。「あぁ、この一年のご縁は来年昭和100年の為だったのか?」と私は独り呟いた。
 ことの始まりは2024年(昭和99年)、不思議な勾玉との出逢い。「異形勾玉」といい鳥取県米子市の博労町遺跡から出土した弥生時代後期の遺物との出逢いだ。このX型の勾玉は、 wikipedia勾玉の項目にも記載されている通り、この遺跡だけの遺物という。
 ちょうど米子市埋蔵文化財センターの館長さんと講座の打合せ中、「博労町遺跡から不思議な勾玉が出土したと聞いていますが…」とたずねると「あぁアレですね」と言って携帯電話を取り出した。「シャネル出せる?そう…。わかった」と電話を切った館長さんは「実物持ってこれますよ」と百聞は一見にしかずという面持ちで言った。愛称は「シャネル」というようだ。確かに「X」という鋭角なフォルムでなく「CC」という感じは、実物を見て納得した。

鳥取県西部・博労町遺跡より出土

 実物をジッと見つめているうちに、愛称「シャネル」のイメージからか身につけてみたいと思うようになった。それが徐々に、勾玉が背中合わせに互いに寄り添っているように見え始め、「八」の字に思えた。

 日本数学教育学会誌「古事記に見られる数概念について(吉原昭夫 氏)」によると、古事記中に八の字を使用したものが数多く見られ「神聖数八」であるとのことだ。古事記で(十進法を使用していながら)八つずつ数えるところに注目し、方位説も有望であるが、「古事記に見られる八の起源は、方位でなく、自身の分割によって生じたと思われるふしが多い」という。
 いずれにせよ「神聖数八」に異形勾玉は見えた。そこに「彌榮(いやさか)」という平和で嫋やかな言葉をも異形勾玉から感じ受けとった。そして、異形勾玉が発掘された博労町遺跡に、錫の鋳物作家さんが居られることも脳裏に浮かび…

「錫の鋳物で再現できるのでは…。同じ時期の弥生時代後期〜古墳時代初期の妻木晩田遺跡とコラボもできるのでは」

と、所属する「むきばんだ女子考古部」の繊維班に言うと「楽しそう!」とグループラインで大いに盛り上がった。

そして、鋳物工房「錫しげ」さんに錫で再現できるかどうか聞いてみることに。すると
「できれば実物から型を取れれば」
と錫しげさん。
「え…実物は無理では…」
と思いながら米子市埋蔵文化財センターの館長さんに伺ってみると、なんと快諾了承いただいた。

(続く)

米子市埋蔵文化財センター資料より



#note書き初め #勾玉 #考古学

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